散弾銃2009/05/03

5月3日。
連休の真ん中のこの日、私はこの20年、尼崎を離れたことがない。つまりゴールデンウィークは全くゴールデンではなかったということになる。

朝日新聞襲撃事件。あのテロの被害者、小尻知博記者は尼崎が担当であった。彼と取材を通して知り合いだった尼崎のメンバーが中心になって、事件の翌月「追悼とテロ反対」の集会を尼崎市内で開いて以来22年、1回休んだだけで毎年5月3日の事件の記念日にはなにがしかのイベントを欠かさなかった。

散弾銃の弾が足りなくなるほどたくさん集まって発言、表現しようとの相言葉で「青空表現市」と名付けられてからは屋外でのイベントが中心になった。

当時は「これなら散弾銃が足りなくなる」と豪語できるほどの人数が集まったが、22年たった今では散弾銃2,3丁で十分?な程メンバーも減ってしまった。

けれど、実行委員たちは、本当に長い付き合いになってしまって、今も小尻記者への献花の催しだけを、事件を忘れまいと続けている。

今日も献花の催しを阪神尼崎駅前でやった後、朝日新聞労組の主催の集会に参加、そののち、西宮の朝日新聞阪神支局に事件当時の展示があるというので見に行った。

遺影に詣でたのち、展示室を見て回る。

散弾というのはあんなに小さなものなのだ。釣りに使うジンタン錘の最小のものよりも小さいかもしれない。

それが何百と体に食い込む。残虐な武器。

テロ。かつて日本を戦争の道に誤らせた大きなちからがテロであった。

やっぱり誰でも人間だから暴力は怖い。その恐怖心を使って政治をねじ曲げるという事は、それが可能なだけに、何としても許してはならない。

銃の前に立って、それに打ち勝つためには、銃弾よりも多くの人々が心を合わせるしかない。

地域祭り2009/05/11

地域祭り
 今年で十回目なのか9回目なのかいまだに決着がついていませんが??。

 東難波ふれあい祭り。地域の人々が食べ物や雑貨の店を出し、地域の人々が楽しむ、フリーマーケットのような、地域の学校やサークルが日ごろの成果を披露する発表会のような、何とも説明のしにくい祭りです。

 何よりも、他にない特徴はその会場。神社とキリスト教会と、真宗のお寺の3か所です。日本の三大宗教の施設がそれぞれに会場を提供してくださって三か所に分散して開催します。

 毎年多くの人でにぎわうのですが、今年も連休疲れをものともせず、小さな子供連れなどで賑やかでした。

最長不倒距離2009/05/14

以前に紹介していた、市役所の案内版。年度が替わって「調整中」の紙が張り付けられたまま放置されて、実に1か月半。

ようやくワープロ打ちの紙の仮案内が張り付けられました(写真)。その間実に43日間。

私の指摘もなんのその、職員に聞いても例年になく長い期間だそうで、「最長不倒距離」の栄誉に輝きました。

副市長にもいやみを言っておきました。
 「大した「顧客志向」ですな」
すると、副市長
 「手が無いのですよ」・・・

これがまた、語るに落ちた、とはこのことです。つまり市民の市役所における利便性はとても優先順位が低い、ということではありませんか。
 
あまりのあからさまな本音に
 「手はあるでしょう。」と答えるのが精一杯でした。

ほんとはこう言いたかったのです。
「無いのは「手」ではなくて、「気構え」でしょう」

政治は未来からのメッセージ ・ 市会議員選挙にあたって思うこと2009/05/29

 市会議員選挙が明後日告示に迫りました。もう5回目になるとはいえ、こればっかりはなれることができません。事前のあいさつ回りでも、街頭演説でも、ハラハラドキドキ、冷や汗が出ます。その反面、「応援してるよ」と声をかけていただいたりすると、とてもうれしいことも初めてのころと変わりません。

 朝の駅頭での街頭演説。60人もの立候補予定者がいるのですから当然ですが、同じ場所でぶつかることが多くあります。
 その際にぶつかった相手に、あいさつし、例えば「演説時間を分け合おう、交替でしよう」と申し出ることのできる人もいれば、こちらが先に来たスピーカーも置いているのに、そんなことには目もくれず、挨拶もなしにお構いなしにスピーカーを使う人もいます。


 お互い、闘う相手なのですから、仕方がないのかもしれませんが、さびしい気がします。

 「政治は未来からのメッセージ」

 今回の選挙、私はこの言葉をキャッチフレーズにしようと思います。

 地球環境問題で考えればわかりやすいと思います。二酸化炭素の排出を削減するために現在の営みを規制するのは、将来の地球の状態を悪化させないためです。言い換えれば、現在の必要ではないけれど未来からの要求なのです。

 しかし、この考え方が必要なのは環境問題だけではありません。

 自治体の借金は、今の世代はもちろんですが将来の世代の負担ともなります。将来の世代には現在の政治への発言権がありません。重い負担を負う将来の世代の代弁者となって、現在の借金を抑制すること。これが政治の果たすべき役割です。

 同様に、早くから用意をしておかなくては将来困ったことになる、という問題もあります。

 たとえば市職員の団塊の世代の退職金。市役所は職員の退職金積み立てをしていませんでした。年度ごとの予算で支払っていたのです。ところが大量採用の世代が退職時期を迎えると退職金が膨らんで、その年度の市の財政を大きく圧迫します。
 こんなことは最初からわかっていたはずです。

 市民プール。二か所を残して他を廃止する計画が大きな議論を呼びました。
 プールも建物ですから当然古くなります。いずれ使えなくなって廃止するか建て替えなければなりません。ならば、早い時期から利用料に建て替え費用の一分でも上乗せしておくとか、なぜ誰も考えなかったのか?
 市役所というところは単年度会計主義の中で、将来必要なお金を誰がどう負担するかについて、まったく考えないようです。
 それは怠慢というよりは「そういう機能がない」と言ったほうが正確なようです。

 政治は未来からのメッセージでなくてはいけない。現在の目先の利益不利益に惑わされず、未来の見地から、子どもたち、さらには今まだ生まれていない未来の子供たちの利益を考えて現在の営みをコントロールすること。未来の子供たちの利益や、環境問題は今の経済の仕組みの中にな入ってこない要素です。これを経済、社会の中に組み込んでいくこと。これが政治の役目だと思います。

  4期16年間市会議員を務めて、改めてこんなことを痛感しています。これからも、これを心掛け、肝に銘じておきたいと思います。

 選挙に入ると、公職選挙法の規定で、このブログも書けなくなるようです。最後のメッセージになるかもしれません。