時間逆行。日の丸条例上程2012/06/19

 「日の丸条例その後」という昨日の文章に「前が書いてないのに「その後」はないだろう」とのおしかりを受けました。

 なるほど紙の「酒井 一ニュース」にははじめから書いたのですが、ブログには載せていなかったわけでおっしゃる通りです。

 早速ニュースに書いた最初の経過を載せます。今年の3月の文章です。


 

 「尼崎市国旗の掲揚に関する条例」案が2月議会にいきなり提案されました。
 2月13日の議会運営委員会で案を示し、20日の本会議開会で上程。それまでは何の話もなし、という急な運びでした。
 新政会の議員10人全員が提案者。新風グリーンクラブ、私たちの緑のかけはしの中にも賛成の動きがあり、公明党の帰趨如何によっては、成立しそうな成り行きでした。
 結果、2月議会では「継続審議」となり、6月議会で成否が決まる成り行きです。

 国の法律で「国旗は日の丸、国歌は君が代」と定められてから数年たちますが、国旗、国歌に対して起立しなかったり歌わなかったりした学校の先生が処分されたりして何かと騒がしいのです。

 何にせよ、挨拶や礼儀作法はきちんとできるに越した事はありませんが、それが「処分」などで強制されるとなると話が違ってきます。
 まして、その不起立や不斉唱が、その人の歴史観や主義によるものだとしたら、処分には思想統制の匂いが強まります。
 東京の石原都知事、大阪では橋下大阪市長が、このような統制的なやり方のさきがけになっていますが、尼崎でもその影響を受けた人々がこの提案をしたようです。

 私自身は日の丸はデザインとしては簡明で素敵だと思っています。
 しかし、どこの国旗でもそうですが、国旗はその国の歴史と社会の良い面も悪い面も合わせて背負っています。
 自国の国旗を扱う場合は、特にその背負っている歴史の悪い面を無視してはなりません。

 わが国の場合はかっての侵略と戦争、国内での思想言論弾圧や差別、がその悪い面です。日の丸のもとで、かつての日本にひどい目にあわされた人たちがいるのです。
 その被害者が日の丸に対して持つ思いへの配慮を欠いてはいけません。その歴史への反省ぬきに日の丸を掲げてはいけません。これはよく言われるような「自虐」ではなく、まっとうな「自省」であり「自己認識」です。
 そこに国旗の意義もあるのです。 

 「条例で強制しなくても・・・」という批判に対して、提案者は「条例で定めなければ尊敬されない事が情けない」と言いました。
 しかし、「尊敬」や「愛国心」は「自発性」という土壌にしか育ちません。義務や強制のもとでは、愛国心や愛郷心に「似て否なるもの」すなわち、屈従や排外主義しか生まれないことを知るべきです。

 実は、市役所本庁舎には以前から市の旗と並んで国旗が掲げられています。国の通達に従っているのだそうです。
 ちょうどこの条例案が提案されたころ、その国旗がボロボロになっていました。
 「国旗を大切にして愛国心を養おう。市の建物すべてに国旗を掲げよう」と言いながら、提案者の誰もそれには気づいていなかったようなのですが・・・。

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