日の丸条例修修正可決2012/06/26

 日の丸条例修正可決

 今日の本会議で、日の丸条例は公明党の修正案で可決されました。23対17でした。賛成は公明党、新政会、新風グリーンクラブの一部。反対は、私たち緑のかけはし、共産党、新風グリーンクラブの一部、でした。

 主な修正内容は、
 ○掲揚の対象から学校を外す。
 ○掲揚すべき市の施設を、本庁、支所、消防署に限る。
 というものです。

 国旗を掲揚すべき市の式典については限定がないことが問題ですが、提案者の公明党の仙波議員の答弁は「市長の裁量。現市長である限りは拡大解釈の恐れはないだろう」というものでした。

 可決は残念です。国旗はその国の国民からの自然な感情にもとづく尊敬を得るべきもので、条例や法律で強制するべきものではありません。

 同時に今、国旗のことを声高に主張する勢力と、今日の議会の傍聴に初めて登場した排外主義者の若者たちのような人々が重なって見えることが危惧されます。

 原案を提案した新政会も、修正して原案の過激さをおさめて成立に持ち込んだ公明党も、今日の議会に傍聴に来ていたような排外主義者と同じ考えだと思いたくはないのですが・・・。

 提案された3月議会での質疑で私は、「国旗というものは、良くも悪しくもその国の歴史を背負う」と言いました。背負った歴史を正しく認識して対応するなら、その国の象徴たる国旗が何であっても問題ではないはずです。

 問題は、今、国旗-日の丸を声高に主張する人たちが、歴史に対する一方的な主張を同伴しているように見えることです。

 そこでは、国旗に対する態度が歴史観の対立と重なってしまいます。

「日本のかつての戦争は侵略戦争であったのか自衛戦争であったのか」 と
「日の丸を否定するか、肯定するか」

が重なるのです。

 そこが重ならなければ、国旗の是非とは別に、もっと冷静にこの国の歴史の光と影を議論する事が出来るはずです。

 それが重なっている限りは、私は、日の丸と侵略の肯定を重ねる議論に対して反対派たらざるを得ません。

 
 もうひとつ、そのような構図を描いて、国旗に賛成するかどうかで国民かどうかの「踏み絵」を迫ることにもなっている事についても私は否定的です。

 何事によらず、「踏み絵」ほど人間の品性を貶めるものはありません。
この世で最も忌むべきものです。