入院、手術2012/08/08

 わたくし事ですが、入院、手術という人生発初の体験をしました。
 入院手術と聞いて心配してくれた人も「盲腸炎」と言うと笑い出します。「あれは子どもの病気だ」という人までいる始末です。
 
 本人としては、その日朝からの胃痛の様な痛みが夕方には腹全体の鈍痛に広がっていく間の不安、そして手術後の傷のひきつれの痛み、病院食が合わずに痩せてしまったこと、等々、それなりに真剣な災難だったのですが、このように笑われてしまうと、甲斐のないことです。

政府事故調2012/08/08

 福島原発事故の政府事故調報告が出ました。独立検証委員会、国会事故調、東電の事故調、と合わせて4つの調査委員会の報告が出そろいました。

 政府事故調の「委員長所感」がふるっています。事故から学ぶべき教訓を上げているのですが、その中の一つがとても気に入りました。
 
「見たくないことは見えない。見たいものが見える」

 政府、電力会社が原発の安全に関して陥っていた陥穽を的確に言い表しています。

 「想定不適切事象」。破壊的な震度や津波高、全電源喪失などのシビア・アクシデント、のことを「原子力村」ではこう言っていたそうです。安全対策上想定する事が適当ではない、つまり想定しないことにするケース、ということです。

 そのような言葉が堂々と使われ、想定すべきことが想定されずに済まされてきたこの国の原子力政策に深い病弊を見ざるを得ません。「見えなかった」のではなくて「見なかった」のです。

 事故後についても、放射能が大量に出るような事故は想定したくなかったから対策も検討されず、その結果住民避難においては犯罪的な不作為が起きて、多くの避けられた被曝を生んでしまった。

 このような思考体質における病弊は、原子力村に限らず、この国の政治、社会を永きにわたって広く覆っているのではないでしょうか。

 阪神大震災の後で、神戸市の防災計画の想定震度を想定より低く設定していたことを反省していた学者の反省の弁に接したことがあります。
 歴史的には、太平洋戦争で、当然考えておくべき敵の出方について「そこまで対応する戦力が無いから、敵はそうは出てこないことにして・・・」という作戦の作り方が随所にはびこり、多くの出さずに済んだ犠牲を出したこと。

 等々、特にこの国にこのような思考法が蔓延しているように思うのは私だけでしょうか。

 
 委員長所感も、もう一歩踏み込んで「見たくないことは見ない」と言うべきであったかと思います。