近況報告 原点から考える2021/08/18

 28年続いた議員生活を終えて、さて何をしようかと考えているうちに、もう2か月が過ぎました。とりあえず近況報告です。
 
 念願のあゆ釣りには、以前より少し多めに行けるのはうれしいのですが、相変わらずあまり釣れないのでストレスが残ります。

 仕事としては、高齢者施設のデイサービスなどの送迎を少し受け持つことにしました。
 「送迎の運転手なら私にもできる」と、たかをくくっていたのですが、一人一人の利用者の方の暮らしや生活信条と向き合うことが求められる仕事で、「二つの事業所の送迎を、半日、週に3〜4回」という、とても負担の軽い働き方なのですが、なかなかどうして緊張させられて、結構疲れます。

 また、「議員を辞めたら本をたくさん読んでやろう。」と思っていたのですが、相変わらずの墜落睡眠で、なかなかはかどりません。というより目標のない乱読というのは、そうそうできるものではないということを思い知りました。

 テーマを決めて、問題意識をもって読むことを心掛けなければと思う今日この頃です。
 議員生活で学んだ「物事は原点に立ち返って考える」という教訓を実践できるような読書や勉強をしたいものです。

 「原点に立ち返って考える」・・
 例えば新型コロナ対策問題では、当初の日本の政府、自治体の対策に何か釈然としないものを感じたので、感染症対策のイロハのイ「感染症予防法」から読んでみました。その結果、まだ仮説ですが、「日本の感染症対策は都道府県主体で動くように設計されている」ということがわかりました。これはとても古い法律で、国際的な移動が船主体であった当時と比べると飛行機主隊の今日、感染症の広がる速度は比較になりません。法律の設計自体が追い付いていなかったのではないか。という問題意識をもっています。
 もちろん特別措置法などを作って欠点は補おうとしたのでしょうが、根本に座る法律が古いままでは基礎が揺らぎます詳しくはもっと勉強してみたいと思います。

 「原点に立ち返る」ことの大切さを学んだのは、他の多くの教訓と同じく阪神大震災でした。
 「何故被災者の住宅再建に国の支援がされないのか」という疑問には「私有財産制度」というこの国の根本原理が立ちはだかっていることがわかりました。

 原発問題でも、「どうしてこの国の原子力事故対策はこうも無策なのか」という問いに、ここ一世紀この国が抱いてきた主観主義、観念論的危機管理が答えを示していると思います。
 「起きては困ることは起きないことにする」・・・様々なん事故調査委員会の報告が口をそろえてこの考え方があった事を指摘しています。「津波」「全電源喪失」「原子炉破壊」・・・。
 あることを想定すると対策費用はもちろん、安全神話の崩壊、被害の大きさなど不都合があるので起きないことにする。
 私たちの国、自治体、社会はこの危険な「観念論」「希望的観測」によって先の戦争を引き起こして以来、それから脱却できていないのではないか。私が今抱いている危機感はここにあります。「昭和史を学ぼう」と呼び掛けている理由はここにあります。これに関しては、尼崎市議としての経験の中にも汲み取るべき教訓は多くあるような気がします。
 せっかくの勉強時間、このような勉強にも使いたいと思う今日この頃です。

被災者の住宅再建への公的支援と自助、共助、公助2021/08/31

 阪神大震災の後、被災地から「被災者の住宅再建に公的資金を投入せよ」という要求が出され、大きな運動となりました。
 最近、ある研究会で、当時社民党の国会議員として、この「被災者生活再建支援法」の実現に力を尽くした前宝塚市長中川智子さんの報告に対して、ある人から「菅首相がコロナ対策について使って評判を落としているが『自助、共助、公助』の順序の考え方は大切だ」とのコメントを呈されました。
 私はそこに、被災者生活再建-就中住宅再建への公的支援を求める動きに対する牽制のニュアンスを感じたのでこのメモを作りました。

 私が思うに、被災者生活再建支援法は、「自助、共助、公助の順序」の概念に当てはめて議論するべきではありません。この概念は菅首相が誤用しているのではなく、まさに彼が使った通りの意味を持っているのではないでしょうか。 
 「被災者は、まず自力で立ち上がる努力をしなさい。そうすれば他者の善意による支援があり、そうすれば最後に政治が救済の手を差し伸べますよ」―ということですね。

 阪神大震災は、この国で久しぶりの大災害でした。6000名以上の死者と10万戸を超える住宅の全半壊、いくつもの町の崩壊はまさに阪神間と淡路島の社会、経済に壊滅的な打撃を与えました。多くの住民が家を失いました。しかし、特に持ち家の人々で、もう一度住居を再建する資力のある人は少なかったのです。二重ローンを背負わねばならない場合も多くありました。
 
 直前の北海道奥尻島の津波被害や、長崎県雲仙普賢岳の災害に対しては、多くの義援金が集まり、その中から
1世帯当たり1000万円を超える現金が、義援金から配分されました。これは、個々住宅再建の支援としても、十分ではないまでも意味のある金額でした。被災者の私有財産にかかわる住居などの再建に義援金が意味のある役割を果たしたのは、この奥尻、雲仙が最初ではなかったでしょうか。
 阪神大震災ではそれ以上の義援金が集まりましたが、いかんせん被災家屋の数が桁外れに多かったため、住宅再建の資金としてはほとんど意味をなさない額しか配分されませんでした。(確か一世帯40万円程度だったと記憶します)
 
 そこに、被災者の住宅再建に公的資金からの支援を求める声が起こったのです。当時住専問題が起こっており、私企業の経営破綻に公的資金が投入されたこともこの要求を加速しました。

私たちの当時の主張のいくつかを挙げます。
 〇借家の人は新しく建つ借家の家賃を払えば住まいを再確保できる。持ち家の人は新たに家を建てなければならない。二重ローンの負担はなお重い。生活の再スタートラインを平等にするという意味でも、住宅再建への税金からの支援は、単なる私有財産の形成への税の投入との非難はあたらない。

 〇個人の住居は、町を再建するにはどうしても必要な要素で、公共財としての性格も持っている。その再建に税金からの支援を入れてもよいではないか。

 しかし、政府の抵抗は大きく、生活資金の支援はわずかに増やされたものの、住宅の再建に使えるようには、制度としても金額的にも至りませんでした。
 その後何年かたってから、島根県(鳥取県?)での地震災害に際して、県が県費で住宅再建に使うこともできる支援制度を打ち立てて、やっと蟻の一穴があいたのです。

 「自助、共助、公助の順序」の概念が提起されたのはそのあとのことです。当時はそのような七面倒臭い仕分けはありませんでした。
 それ以前の災害でも自助、共助は当然のこと、義援金に類するものはあったのですが、それらの支援が「私有財産の形成」と言われる分野、つまり住宅再建への現金支援にまで及んだのは、先にも言いましたように奥尻、雲仙が最初でしょう。
 そして阪神大震災で義援金が金額的に追い付かないところに公的資金の出動が求められたのです。
 つまり、その時問題となったのは、自助、共助、公助の区別ではなく、公的資金が私有財産の形成に使われていいのかということであったと思います。

 「自助、共助、公助」の区分けを概念として示したのは、災害、防災関係の学者や評論家だったと記憶します。決して被災者の運動尾の中から出てきた発想ではありません。
 実は、自然災害(感染症も含む)との闘いに、「自助、共助、公助」の区分けは意味がなく、ましてや優先順位をつけるなどは論外で、害悪しかもたらしません。

 ただ、個人、共同体、政府がそれぞれの役目を必要に応じて果たすべきであるだけです。
 被災者生活再建支援法をめぐる議論は、「国=公が果たすべき役割―なすべき支援はどこまでか」をめぐる議論であって、そこにこそ最も鋭い問題提起があったと考えます。
 そしてその議論に決着がついていないから、「自助、共助、公助」などと言うお説教が持ち出されるのでしょう。

吉村さん野戦病院って知ってますか?2021/08/31

 大阪の吉村知事が、コロナ感染症の病床不足を補うために「野戦病院」を作る、と言いました。
 これを聞いた私は思わずのけぞりました。
 気が付くと他の政治家やマスコミでも「野戦病院」が使われているようです。

 野戦病院! 戦局悪化で移転する際に、動けない患者に青酸カリや手りゅう弾を渡していったあの野戦病院!
 「野戦病院」、私たちの国は、負傷した味方の兵士や民間人にさえとてもむごい仕打ちをした歴史を、この名称とともに記憶しているはずです。
 
 我が国の歴史についての認識が少しでもあれば、この場面でこの構想を示すのにこんな言葉を使うはずはないのです。「臨時医療施設」でも何でもよいのですが、ほかの言い方ができないわけではないはずです。

 わざわざ、この言葉を引っ張り出してきたのはなぜでしょうか。恐ろしい潜在意識が潜んでいないことを祈ります。