諫言を聞かないトップ?2021/09/03

大阪のある校長先生が訓告処分を受けたそうです。
 
 大阪市長 松井一郎さんあての提言書を出したことがとがめられたといいます。
提言書の題名は「豊かな学校文化を取り戻し、学び合う学校にするために」。
内容は、「競争主義」、「全国一斉学力テスト」、「点数主義」「GIGAスクール構想」などを批判し、その主義の下での「教員への過度の負担」を指摘し、「生き抜く」世の中ではなく「生き合う」世の中を目指す教育を求める、という意見としてはごくまっとうな、おそらく現場の先生方が日々不満とし、また目標としていると思われるようなことどもが書き連ねられている、内容への賛否はともかく、意見としてちゃんと成り立っており、まっとうに取り扱われるべき提言だと思いました。

私は、今ここで、提言への賛否、今の教育政策への賛否を問題にするのではありません。
内容への賛否はともかく、ごくまっとうに述べられた「現場責任者としての提言」を提出したことに対して「処分」をもって応える松井大阪市長の「支配者の横暴」としか言いようのない対応が問題なのです。

実は、このニュースを見て、最初に浮かんだ言葉は「時代錯誤」でした。戦前の特高警察を彷彿させる、批判的言論への弾圧だと思ったのです。
しかし、よく考えると、もっとひどい話で、どんな時代でも、優れた王や殿様は、部下の諫言や苦言をよく要れたものです。
松井さんはこれとも逆に、苦言や諫言に対して死刑をもって報いた暴君と同じ姿勢だったのです。現代に引き写して、組織の長として考えても、部下の苦言に処分をもって応じるようでは、失格と言わねばなりません。

教育委員会も組織の長の、このような暴走を止められなかったのですね。

日本の医療崩壊-もともと医師が足りなかった?2021/09/05

もともと、この国にはお医者さんが足りなかったのだそうです。

これも、虹とみどり全国政策研究会での講演から。日本のコロナ感染症対策について。

 私は、このコロナ感染症禍の始まりの頃から、「医療資源では欧米諸国に比べて特に遜色のないこの日本で、欧米諸国よりはるかに感染者数が少ない段階で、いち早く医療崩壊が起こった事が不思議でなりませんでした。

いろいろと調べてみて、いったんは次のような原因を挙げて、それに基づいて市議会でも質問をぶつけてきました。

日本においては病院が公立病院の統廃合が進められ、民間病院中心に切り替わってきました。近年特に公立病院の経営赤字が取りざたされてきました。公立病院こそ、採算だけにとらわれない医療の提供が求められていたのに、です。
感染症医療は、隔離や医療従事者の感染防止などの面で、通常医療に比べてより多くの人的、経済的負担が医療機関に求められます。そして、突然発生して、急増するのが感染症の特徴だとすれば、感染症医療のためには不断から、医療資源の余力と、緊急時の動員体制が準備されていなくてはなりません。
民間主軸にシフトしていた日本の医療には、この余力と緊急時の動員体制が欠けていた。民間主軸の医療体制は、採算優先が求められる中で、できる限り満床にし、最低限の人員での運営が求められてきたことでしょう。そこに急激な感染症対策へのシフトをこなす余力はなかったと思われます。
保健所設置市として感染症対策の主体となっていた尼崎市当局に、「このような問題についてどう考えているか」と、やや無茶振り気味に質問しました。課題は国レベルの話ですが、問題意識は共有しておきたかったのです。

しかし、今回の講演で、「実は日本の医療資源は一定人口当たりの医師数でOECD諸国平均に大きく劣っている」という事実を知らされました。総数にして13万人が不足しているそうです。中でも感染症専門医は必要数の半分にも及ばないとの事。
医師、看護師の不足、高い個人負担、低い診療報酬、公立病院の減、・・・すべては医療費抑制の国策の下で引き起こされたことです。その中で薬価だけが世界に比して高いのですが、その日本の製薬会社はコロナワクチンの製造には全く出遅れてしまったのですから「何をかいわんや」です。

このように貧弱な医療資源で、感染症対策をとることは無理な話で、そこに日本の政治のお家芸=「起きては困ることは起きないことにする」が登場してコロナ対策のドタバタになった。ということのようです。
あの原発における津波も、全電源喪失もそうでした。「今の堤防を超える高い津波は対策に費用がかかるのでないことにする。」「全電源喪失に対処する装置や訓練は安全性を疑わせるのでないことにする」
感染症対策も、「根本的な医療資源の不足の下で十分には対応できないので、最も根本の感染症予防法の改正などの体制作りはしない。」
感染症予防法自体が古い法律で、現代のような交通関係が発達した社会での感染症対策には間に合わないことは担当者には「わかっていた」はずです。
そうではないですか? 政府は何故「特別措置法」の継ぎ足しで対処しようとしたのでしょうか? 誰が感染症対策の総指揮をとるのか、責任体制もあいまいなまま、すべてを「要請」―「忖度」という無責任体制でしのいできたのがこの国の感染症対策でした。
法的権限のない総理大臣の「一斉休校要請」、補償なき「休業要請」、オリンピック開催・・・。

講師は「インパール作戦」の例まで挙げて、この国の、政治の無責任という病弊を指摘しました。半藤一利さんの言葉も引用されました。「人間の目は歴史を学ぶことで初めて開くものである」 全く同感です。
特に、昭和史のなかに明白なこれらの「病弊」。これから深く学ばなければならないと思いました。

題名を付けない研究会2021/09/22


菅さんが、「自助、共助、公助」について「自助で頑張れば公助で助けてやる」みたいなとんでもない解釈で語りましたね。
そもそもこの考え方自体阪神大震災の後で学者たちによって語られ始めたように思います。そしてそれはいわゆる「自己責任」論や、「ボランティア迷惑論」とのトロイカでした。とても胡散臭い感じがしたものです。
 そこで思いたって、村井雅清さんに電話しました。阪神大震災に際して「被災地NGO共同センターを立ち上げ、以降、阪神大震災はもとより日本はおろか世界中の災害現場で被災者支援のボランティア活動を作ってきた、その道の極め人です。
 「災害ボランティアの心構え」という著書があります。大学の講座も持っておられるとのことです。今はアフガニスタンと佐賀県の水害の被災者支援で忙しいそうですが、「自助共助公助の議論について話してくれないか」と頼んだら二つ返事でOKしてくださいました。
 電話での話の一部を紹介します。
村井さんによると、
 「自助・・・」という概念は阪神大震災の後、当時の貝原県知事が言い出したもの
。その時の趣旨は「震災からの救援に自助・共助は大いに役立ったが、『官助』が弱かった。反省点だ。」というものだった。今と意味が逆だ。」とのことでした。
 村井さんを招いて、少人数で突っ込んだ議論のできる、というより「対話の会」をしたいと思います。
 10月2日(土)17時半から
 会場 東難波町内会館
 海上は、酒井、迫田事務所の近くです。場所をご存じない方は、当日、酒井事務所の近くまで来て酒井、か迫田市議の形態を読んでください。案内します。
 参加される方は、できれば、酒井までご連絡をください。