兵庫県知事選 自治体選挙の歴史を変えるかも ― 2024/11/15
兵庫県知事選挙がすごいことになってきました。県下22市の市長が、県知事選挙におけるひどい誹謗中傷への批判を表明するとともに、いなむら候補への支持を表明したのです。
稲村氏の支持を表明した首長の市名は、姫路市、尼崎市、西宮市、洲本市、伊丹市、相生市、加古川市、たつの市、赤穂市、宝塚市、三木市、高砂市、川西市、小野市、加西市、丹波篠山市、丹波市、南あわじ市、朝来市、淡路市、宍粟市、加東市、です。
確かに、今回の県知事選挙では、一部の集団による、選挙の根本的意義を踏みにじったふるまい、誰とも知れぬ人による、SNS上での候補者への誹謗中傷、など民主主義にとって憂うべき所業が蔓延しています。
しかし、それを非難することと、特定の候補者を応援するという事の間には明確な一線があります。今回の22市長の声明はその一線を越えています。マスコミも「異例」と評価しています。今回の知事選はよほどのことなのでしょう。
私も「よほどのこと」だと思います。
今回の兵庫県政の混乱は、民主主義についての様々な危機を孕んでいます。
一つ、前県知事が、自分の政治姿勢に異を唱え(内部告発し)た職員に対して、その当否を第三者に判断してもらうことなく、知事の権限をもって告発者探しと人事処分をしたこと。これは「公益通報保護法」を待つまでもなく、権力の座にあるものとしては、決してやってはいけないことです。権力の私的乱用です。批判に耳を傾けないどころか批判者を権力で弾圧することは民主主義の根幹の破壊です。これが前知事の最大の過ちなのです。そして彼はそのことについては謝るどころか正しかったと言っているのですから、彼が再選されたら、兵庫県はこのような違法状態を是とする自治体になってしまいます。
二つ目には、前知事が県議会の不信任決議によって失職して行われた県知事選挙で、今回の22市長の声明に言う「誹謗中傷」や暴力的言辞が蔓延し、民主主義選挙の基礎を覆す行為がはびこっていることです。
それは、ただの選挙妨害や、行き過ぎの域を超えて、「政策を言論で争って有権者の判断を受ける。」という公職選挙のルールの基礎を破壊しています。
一つは、某候補の「自分の当選ではなく斎藤候補の応援をするために立候補した」との言明です。選挙法では特定の候補者の応援はその候補者に許された宣伝手段でしかできません。ところが、この方法を使えば応援を受けた候補は選挙法で許された二倍の宣伝力を持つことになります。これは、法が想定していない卑怯な抜け道です。
そして二つ目は、主にSNS上で行われる誹謗中傷です。
例えば、「いなむら候補は、尼崎市長時代,公立幼稚園をつぶした(子育て支援に背を向けた)」という言説を、それを表す数字を付けてネット上に流す、という行為です。確かに稲村市政において公立幼稚園は減らされました。挙げられた数字も嘘ではありません。しかしその第一の原因は幼稚園児の減少にあります。にもかかわらず、その数字は示されないのです。その減少分を吸収するのに民間ではなく公立の幼稚園を減らしたのです。どちらにするか、つまり園児の減少に起因する幼稚園定員の削減を公立で受けるか民間で受けるかについては当時も論争がありました。しかし、これは方法の選択の問題であって、どちらの立場の人も子育て支援に背を向けていたわけではありません。なのに「いなむら候補は子育て支援に背を向けている」という印象を読んだ人に与えるのです。
これは、典型的な「プロパガンダ」の手法です。一面的な「事実」を挙げて、全体としての政策や、特定の集団などを批判する。歴史上ではナチスが用いたことで有名な手法です。ゲッペルスは「嘘も百回言えば大衆は信じる」とうそぶきましたが、まさにその手法です。
事はこうまとめられます。まず民主主義の基礎に触れる違反行為を確信犯としてやってのけた知事がいて、その知事が民主的手続きによって「罷免」されました。
その前知事は続く選挙に再度立候補しました。その選挙では全リーダーを支援するために民主主義的ルールを踏みにじった「手法の暴力」、「言論の暴力」、そして「実際の暴力」が所嫌わず振るわれています。
今回の22市長の声明は、その危機感にもとづくものであると思います。
「これは、公職選挙法違反だ」とのたもうた弁護士がいるようですが、法律を知らない弁護士というのは恐ろしいものですね。自治体の首長は政治家ですので、それぞれにその心情にしたって特定の候補者を応援することに何の制限もありません。それが共同の行為であっても同じです。
このような県政の危機、民主主義の危機に際して、住民に最も身近な自治体をあずかる首長として、民主主義の破壊を公言する人を阻止する手段はそれに反対する最有力候補を応援するしかないと考えることに不自然な点はありません。
それにしても、22もの首長の連名による特定の県知事選候補への応援の共同声明は自治体史上おそらく初めてでしょう。兵庫県が遭遇している県政民主主義の危機の深さに思いが至ります。他方で、おそらく政治的立場は違うであろう首長の皆さんの、共同声明に至る、自治と民主主義に対する姿勢の健全さ、健気さに感動しています。市民、県民として全力で応援したいと思います。
稲村氏の支持を表明した首長の市名は、姫路市、尼崎市、西宮市、洲本市、伊丹市、相生市、加古川市、たつの市、赤穂市、宝塚市、三木市、高砂市、川西市、小野市、加西市、丹波篠山市、丹波市、南あわじ市、朝来市、淡路市、宍粟市、加東市、です。
確かに、今回の県知事選挙では、一部の集団による、選挙の根本的意義を踏みにじったふるまい、誰とも知れぬ人による、SNS上での候補者への誹謗中傷、など民主主義にとって憂うべき所業が蔓延しています。
しかし、それを非難することと、特定の候補者を応援するという事の間には明確な一線があります。今回の22市長の声明はその一線を越えています。マスコミも「異例」と評価しています。今回の知事選はよほどのことなのでしょう。
私も「よほどのこと」だと思います。
今回の兵庫県政の混乱は、民主主義についての様々な危機を孕んでいます。
一つ、前県知事が、自分の政治姿勢に異を唱え(内部告発し)た職員に対して、その当否を第三者に判断してもらうことなく、知事の権限をもって告発者探しと人事処分をしたこと。これは「公益通報保護法」を待つまでもなく、権力の座にあるものとしては、決してやってはいけないことです。権力の私的乱用です。批判に耳を傾けないどころか批判者を権力で弾圧することは民主主義の根幹の破壊です。これが前知事の最大の過ちなのです。そして彼はそのことについては謝るどころか正しかったと言っているのですから、彼が再選されたら、兵庫県はこのような違法状態を是とする自治体になってしまいます。
二つ目には、前知事が県議会の不信任決議によって失職して行われた県知事選挙で、今回の22市長の声明に言う「誹謗中傷」や暴力的言辞が蔓延し、民主主義選挙の基礎を覆す行為がはびこっていることです。
それは、ただの選挙妨害や、行き過ぎの域を超えて、「政策を言論で争って有権者の判断を受ける。」という公職選挙のルールの基礎を破壊しています。
一つは、某候補の「自分の当選ではなく斎藤候補の応援をするために立候補した」との言明です。選挙法では特定の候補者の応援はその候補者に許された宣伝手段でしかできません。ところが、この方法を使えば応援を受けた候補は選挙法で許された二倍の宣伝力を持つことになります。これは、法が想定していない卑怯な抜け道です。
そして二つ目は、主にSNS上で行われる誹謗中傷です。
例えば、「いなむら候補は、尼崎市長時代,公立幼稚園をつぶした(子育て支援に背を向けた)」という言説を、それを表す数字を付けてネット上に流す、という行為です。確かに稲村市政において公立幼稚園は減らされました。挙げられた数字も嘘ではありません。しかしその第一の原因は幼稚園児の減少にあります。にもかかわらず、その数字は示されないのです。その減少分を吸収するのに民間ではなく公立の幼稚園を減らしたのです。どちらにするか、つまり園児の減少に起因する幼稚園定員の削減を公立で受けるか民間で受けるかについては当時も論争がありました。しかし、これは方法の選択の問題であって、どちらの立場の人も子育て支援に背を向けていたわけではありません。なのに「いなむら候補は子育て支援に背を向けている」という印象を読んだ人に与えるのです。
これは、典型的な「プロパガンダ」の手法です。一面的な「事実」を挙げて、全体としての政策や、特定の集団などを批判する。歴史上ではナチスが用いたことで有名な手法です。ゲッペルスは「嘘も百回言えば大衆は信じる」とうそぶきましたが、まさにその手法です。
事はこうまとめられます。まず民主主義の基礎に触れる違反行為を確信犯としてやってのけた知事がいて、その知事が民主的手続きによって「罷免」されました。
その前知事は続く選挙に再度立候補しました。その選挙では全リーダーを支援するために民主主義的ルールを踏みにじった「手法の暴力」、「言論の暴力」、そして「実際の暴力」が所嫌わず振るわれています。
今回の22市長の声明は、その危機感にもとづくものであると思います。
「これは、公職選挙法違反だ」とのたもうた弁護士がいるようですが、法律を知らない弁護士というのは恐ろしいものですね。自治体の首長は政治家ですので、それぞれにその心情にしたって特定の候補者を応援することに何の制限もありません。それが共同の行為であっても同じです。
このような県政の危機、民主主義の危機に際して、住民に最も身近な自治体をあずかる首長として、民主主義の破壊を公言する人を阻止する手段はそれに反対する最有力候補を応援するしかないと考えることに不自然な点はありません。
それにしても、22もの首長の連名による特定の県知事選候補への応援の共同声明は自治体史上おそらく初めてでしょう。兵庫県が遭遇している県政民主主義の危機の深さに思いが至ります。他方で、おそらく政治的立場は違うであろう首長の皆さんの、共同声明に至る、自治と民主主義に対する姿勢の健全さ、健気さに感動しています。市民、県民として全力で応援したいと思います。
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