安全保障法制迷言集2015/07/01

 安全保障法制迷言集


  今の安保法制の議論に、戦争への危険を感じるのはもちろんですが、一方、安倍さんをはじめとして、とても薄っぺらな、馬鹿馬鹿しいほど軽い言葉で、軍事が語られていることに大きな不安と怒りを覚えます。迷言集をどうぞ。

○「戦争に巻き込まれることはない。日米安保の論議と結果が証明している」
  
  影の声:「巻き込まれる」のではありませんよね、「参戦」するのですよね。憲法学者でなくても、泥棒を車で運んだら泥棒のなかまだというくらいはわかります。
  
○「自衛隊員のリスクは増えない」
 
  影の声:「大丈夫、安全だから戦争に行ってくれ」ってか? 安全な軍事行動?
 
○「後方支援中でも戦闘が起きれば中止、撤収する」

  影の声:「おーい弾持って来てくれ」 「私も撃たれているから帰る。ごめんね」・・これでは前方から弾が飛んできます。
 
兵站が軍事攻撃の目標とされるのは常識。との質問に答えて、
○「大切な物資を届けるからこそ、安全な場所で相手に渡すのがいまや常識だ」

  影の声 「宅急便」じゃないのですから・・・。 補給線を攻撃するのは戦争の「いろは」であり、最も効率的な方法です。かつての日本軍は米軍に補給路を徹底的に攻撃されて、真剣に対策をしないで放置して敗れました。日本の兵士(つまり私たちの祖父や父や兄)の死者の過半が補給の途絶による餓え死にか、輸送船を沈められての海没死なのです。戦争指導部の無能、怠慢と言わざるをえません。
  これこそ私たちが振り返って学ぶべき痛恨の歴史です。
  今日また、「安全な補給」というものがあるかのように言いたてる安倍政権の歴史認識のなさ、勉強不足にはあきれるしかありません。

○「(政府に批判的な)新聞社を『懲らしめる』には広告をやめるのが一番」

  影の声:「懲らしめる」なんて。桃太郎じゃないのですから、思い上がりもいい加減にしてほしいものです。権力の側にある者が一番使ってはいけないせりふです。
       かつての韓国で独裁政権に反対の論陣を張った「東亜日報」が財界の広告停止に対して、真っ白の広告欄で抗議して闘った。あれを日本で繰り返したいわけですか?

○「沖縄の新聞は売国的だ」(自民党の勉強会で講師が発言)

  影の声:1951年4月28日、本土の独立と交換に沖縄を売りわたしたのはどの政権でしたっけ?
 
○「石油がこなくなることは国の存立の危機」!

  影の声:これこそかつての日本が米英との戦争に突入したときの口実でしたね。

○「『ホルムズ海峡の機雷』や、『日本に飛んでくるミサイル』に対処しなくてはいけない」

  影の声:じつは、これらは実は個別自衛権の拡大で説明できるのです。ミサイルの発射基地や、自国への攻撃の拠点になっている飛行場や港への攻撃などは個別的自衛権の範囲です。自国の船舶を守るための行動は個別的自衛権の行使です。これまでは、よしあしは別にして、自主的に外国領土での軍事行動を抑制することにしてきただけです。
その「個別的自衛権の拡大」は言わずに、あれほどまでに集団的自衛権にこだわるのは、アメリカ軍の応援(二軍になる)をしたいからとしか思えません。
日本を守るために「危険を顧みない」と宣誓している自衛隊員に向かって「アメリカの弾運びをしろ」「アメリカの盾になれ」と言える政治家や指揮官はどうかしています。

集団的自衛権の閣議決定に対して2015/06/19

 安保法制がいよいよ山場です。昨年提案した集団的自衛権閣議決定に対する意見書案の提案趣旨説明です。

意見書案 第5号「集団的自衛権の行使を容認する閣議決定の撤回等を求める意見書」について提案理由をご説明申し上げます。

緑のかけはし  酒井 一

○ 今年は、第一次世界大戦開始からちょうど100年目にあたります。第一次世界大戦はその犠牲の大きさへの反省から、戦争そのものを国際法上の犯罪であるとする考え方が大きな流れとなったことで、戦争の歴史に画期的転換をもたらしました。
 同時に、バルカン半島で起こった小さな紛争が、同盟関係の複雑な連動で、どの国も積極的には望まぬままに大戦争に発展した(戦争によろめき入った)事例として確定的な歴史的解明ができず、今も研究対象となっているのです。
安倍内閣が集団的自衛権を容認する理由として挙げる安全保障環境の変化。それが起こっている日本を含む東アジアの情勢が、いま国際社会から、現代のバルカン半島に擬されていることに強い不安感を覚えるのは私だけでしょうか?

 さて、その後も、第二次世界大戦など数々の戦争の惨禍を通じて、戦争を違法とする国際法は次第に確かなものとなっていきました。
現在の国際法においては、かつては国家の権利として認められていた、国家間の対立紛争を解決する手段としての交戦権は否定されています。戦争が容認されるのは自衛戦争のみということになったのです。

○ 国連や世界の安全保障についての考え方の潮流は次のような方向に向かっています。 
  侵略や、不法な武力攻撃に対しては、できる限り国連の枠組みにおいて対処する。
  攻撃を受けた国がどの国であれ、各国は、国連の枠組みが動き出すまでの間、当該国の要請を前提に、侵略や攻撃排除の必要に応じて集団的自衛権を行使する。

要は「暴力による侵害はそれが他者へのものであっても黙って見過ごさない」という人間社会の倫理(少なくとも理想)を国際社会へも広げようというものです。
 
○ 集団的自衛権への支持の底流にはこのような国際的な安全保障の目指す方向、つまり国連の警察機能が発揮されるという理想的形態への共感があるようにも思えます。
しかし、はたして、今回安倍内閣が憲法解釈を変更して容認しようとしている集団的自衛権とはこのような理想に向かうものなのでしょうか?

○ 国連発足以降、集団的自衛権という概念が使われた事例は、残念ながら乱用の歴史でした。自衛とは言いがたい軍事行動の隠れ蓑にされてきた例が多いのです。しかも集団的自衛権を掲げて軍事力を行使した国は米英ソ仏の4大国だけです。どれも大国の権益が主な動機であると思われる例ばかりです。
 「集団的自衛権」という言葉は「他者への侵略を許さない」という美談とは程遠い実態を持っています。
ベトナム、グレナダ、ニカラグア(における米)、イエメン(における英)、ハンガリー、チェコ、アフガニスタン(におけるソ連)、チャド(における仏)、そして最近のウクライナ(におけるロシア)

○ 安倍内閣が集団的自衛権を必要とするケースとして挙げる事例を見てみます
○日本人の乗った船が攻撃を受けた時。
邦人の保護は個別的自衛権の範囲であろうと考えます。
○PKOなどの際の駆けつけ警護。
法的には国連警察機能の中での相互支援として位置づけられるべきもので、集団的自衛権に法的根拠を求めるべきものではありません。
○アメリカを狙った弾道ミサイル。
  弾道ミサイルを撃ち落とすという神業は、ほぼ不可能と言われています。たとえ可能だとしても周到な準備が必要で、自衛隊がたまたまその近くにいるからと言って抜き打ちで撃ち落とせるようなものではありますまい。
たまたま撃ち落とせるチャンスに巡り合った場合自衛艦の艦長はそれこそ緊急避難、人道的超法規的措置で対応するかもしれません。しかし、それには集団的自衛権は必要なく、あらかじめ憲法解釈を変更する口実にはなりません。

 総じて安倍内閣が国民に示したわかりやすそうな事例は、集団的自衛権を用いなければならないケースとしては極めて根拠が薄弱、と言わざるを得ません。

○ さらに、諸発言を考慮すると集団的自衛権はアメリカが対象と考えられるのですが、これは「すべての国が助け合いの対象となるべき」だという国際的な安全保障の目指す方向に反します。それとも「世界中どこでも侵略を受けた国は助けに行く」と言うのでしょうか。平和的手段での支援の方が普遍的で効果的だと思うのですが。
 
○ しかも、そのアメリカが世界中で行っている軍事行動には国際的な安全保障の目指す方向には沿わぬものも数多くあります。

○ さらに、国際社会はむき出しの国家利害の相克の場です。アメリカに協力しておけば守ってもらえる。という単純な発想は無力なばかりか、一国の外交をつかさどる首脳の発想としては犯罪的ですらあります。

○ 日本は、軍事力行使の抑制、平和的貢献の努力によって高い国際的評価を受けてきました。日本国憲法9条(アーティクル9)に対する世界的評価は高いのです。それは条文そのものに加えて、それを根拠に実際に軍事行動が抑制されてきたことによります。60年以上軍事行動をとっていない主要国はほかに無いのです。
そして、それこそがわが国の安全保障にも大きく貢献してきたのです。

○ 国際的平和活動においても日本のこの実績への信頼は大きな力となっています。

○ それを放棄するリスクはきわめて高いといわねばなりません。米軍と一緒に戦うことに、そのリスクを上回る利益はありません。外交政策的にも国益に反するのです。

○ そもそも、武力は使わぬためにあるのです。軍事力による安全保障策は抑制的限定的に用いるように制度設計しなくてはならないのです。
 憲法9条の解釈との関係で言うと、軍事力の発動をどれだけ抑制するかという課題こそが、ときの政権に課せられているのであって、それを拡大の方向で解釈しなおすことは戦争の廃絶を目標とする憲法の精神に反することで、時々の政権には許されていないと言うべきです。

○ 護憲運動の象徴であった土井たか子さんが無くなりました。しかし、わたしたちは憲法9条の理念までも消し去るわけにはいきません。

○ さらに、消し去ってはいけないものの中には、「戦をもてあそんではいかん」との思いを抱いて、9条の理想主義的側面と現実との折り合いをつけながらこれまで運用してきた先人たちの努力の積み重ねとしての憲法解釈、もあるということを、その先人たちの後輩である安倍首相とその内閣に伝えることは私たちの義務であると考えます。

○ 私たちの携わる政治の場は地方自治体です。しかし地方自治体と言えども、平和を前提にしなければ、すべての施策が成り立たないのですから。

尼崎市長選挙2014/11/14

11月16日は尼崎市長選挙の投票日です。
市民の関心は今ひとつ伸びず、低投票率が心配されます。
棄権なさらないよう、ご家族ご友人にお声をおかけください。

稲村和美の後援会のホームページをご参照ください。
http://www.inamura-kazumi.com/

今回「民主市政の会」の法定ビラに気になる記述がありましたので反論いたします。ご判断の材料にしてください。



民主市政の会はこう主張しています。
「現市政―お金がないからと市民にガマンを押し付け、「労働福祉会館は廃止。代替施設は迷走」「母子家庭に福祉医療を削減」「被爆者団体への7万円の補助打ち切り」
一方で4年間に約100億円ためこみ・・・
「市民に我慢を押し付けながら、4年間に3つの基金(市の貯金)で合計98億円も増やしています。」


○「100億円ためこんだ」・・・・。批判は結構ですが、これは少しひどい。中傷と言わねばなりません。
この100億円は市が「ためこんだ」のではなく、必要で大切な「市民の貯金」がふえたのです

「3つの基金」とは財政調整基金、減債基金、公共施設整備基金、のことです。

財政調整基金は5年前の最低の14億円から37億円にようやく回復したのです。収入や支出の大きな変動に備える貯金です。尼崎の財政規模の場合、100億円以上あるのが望ましいとされています。

減債基金は借金を返すための貯金です。毎年の返済額の凸凹をならすために必要です。
まだ2700億円の借金残高があり、毎年230億円から270億円の返済をしている尼崎市にとって63億円程度の貯金は持っていたいところです。これも5年前は16億円でした。

公共施設整備基金。どうしても必要な公共施設をつくるための貯金です。財政難の中でも町づくりのための最低限の投資をしていかなければならない尼崎市にとっては是非必要な貯金です。

5年前、これらの貯金は過去最低の35億円になっていました。。まさに綱渡りだったのです。稲村市政になってから財政再建が進み、ようやく貯金らしい姿を見せ始めたところです。
大切な「市民の貯金」です。「ため込んだ」などと言われるような額でも性質でもありません。
そんなことは少なくとも市議会議員ならわかっているはずです。民主市政の会には市議会議員はいないのでしょうか?

その次のチラシではもっとエスカレートしています。曰く、
○「福祉を削って100億円貯めた。」
削ったとされる福祉は
◆「被爆者団体への補助金」
これには別の形で被爆者の語り部活動委託金が出されているのですが、そのことには触れていませんね。
◆「行政協力員への支給」
これも、市民活動への予算の出し方の整理のことで、どうすれば「福祉を削った」と言えるのかわかりません。
そもそも、被爆者支援は年間7万円、行政協力員への支給も、せいぜい年間数百万円。
どうすれば100億円も貯めることができるというのでしょう。
◆「国保料を高く取って、百億円貯めた?」
 国民健康保険は独立した会計です。市がそこからお金を抜いて貯めることはできません。
そのようなことは民主市政の会はそれこそ百も承知のはずです。どうして仕組み上できもしないことを言うのでしょうか?
 同じ所得でも他市に比べて保険料が高いのは、残念ながら尼崎市民の所得が全体的に低いからなのです。
 それともこの百億円を使って国保料を下げるための繰り入れをしろと言うのでしょうか。
 国民健康保険にはこれまでも、法律で定められた以上の市税からの補助金を入れています。この4年間で国保に入れたお金も貯金にまわしていたら、貯金はあと20億円近く増えていたでしょう。
他にもお金さえあればやりたい福祉施策はたくさんある中で、国民健康保険だけをあげて、もっと「貯金を使え」と言うのでしょうか。
それとも他の福祉にも貯金を使えと言うのでしょうか。

 なくてもよい貯金ではありません。たとえ福祉のためとは言え「使ってしまえ」ではすみません。
「宵越しの金は持たねえ」では責任ある行政とは言えないのではないですか。

再反論 丸尾県議に 政務調査費について2014/06/25

丸尾県議の反論が出ましたのでそれを紹介してその後の再反論します。

『酒井さんの意見に反論です。
改革意欲が大きく低下してきた尼崎市議会!と書いた理由ですが、今回書いたメインの問題とは別に2つあります。(1つは記載しています)
昨年9月に市民オンブズ尼崎から、「議会改革検討項目を住民から広く意見を募集したり、パブリックコメントを取るなど住民の声を聞いて議会改革を行うよう求める陳情書」が提出されました。しかし、市議会では、審議未了になり、現在まで、市議会から市民への意見を聞くアクションは一切行われていません。会派で独自に、議会改革アンケートなどを取ることもできますが、そういうことをする会派も見当たりません。住民に意見を求めることで、住民の関心が高まり、議会にも良い緊張感が生まれ、それがより良い改革につながっていきます。
もうひとつは、新政会、公明党、共産党、維新の会によって、この4月から政務活動費が月7.5万円から月10万円に引き上げられたことです。類似自治体等の平均額のようですが、市財政が厳しい中で、報酬の削減が一体的に行われるでもなく、安易な引き上げが行われました。
 
市議会として、住民の意見を広く聞くことをしない中で、今回の陳情書の即否決は、住民の意見を丁寧に聴いていく姿勢が市議会にあるとは、私たちには見えませんでした。

酒井さんは、今までの議論の積み上げで、政務活動費の案分の考え方を取り入れていないということを紹介しています。それは事実ですから、そのまま受け入れますが、しかし、昨年5月に西宮市議会の政務調査費(現政務活動費)の支出で、違法な支出も含まれることから、支出の半分しか認めないという神戸地裁の判決が出ています。
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201310/0006424779.shtml
尼崎市と同じように政務調査費の案分を認めていなかったことから、このような判決が下されたのですが、尼崎市議会会派が発行する会派広報なども、自分たちの写真を大きく載せるなど、実態としては大きく変わらないだろうと考えています。そして、西宮市議会は、その反省をし、政務活動費の支出基準に案分を入れることを決めました。
http://www.nishi.or.jp/con・・・/0001392900020004200021.html・・・
そのような状況を考えると、尼崎市議会において、今回のオンブズからの陳情書を即否決するのではなく継続審査し、西宮市議会の政務調査費の判例や支出基準、その他の政務調査費に関する判例などを調査したうえで、採択、不採択を決めても良かったのではないでしょうか。
結論ありきの判断だったという印象は否めません。

さらに、酒井さんは、「案分を取り入れると、制限はつけにくくなり、どんな使い方もできてしまいます」と書いています。
確かに使途が広がる可能性は出てくるのですが、支出額は条例で決めていることから、そこでの歯止めは、どちらにしても効くことになります。
一方で、100%公費であれば、支出基準内のものであれば、使途について、十分な精査もせず、好き放題に使う可能性があります。一方で、案分が入り、2分の1は自己負担するということになれば、本当に必要なものかどうかを精査することになります。
現実には、広報費や事務費が、支出の大半を占めることから、それらの支出の2分の1までしか出せない、あるいは○分の○しか出せないということになれば、支出のかなりの部分を抑制することができるのではないかと思います。また、際限なく使途が広がる懸念に対しては、合理的な案分になっていることを検証できるものに限定をすればいいでしょう。事務所費などは、どのような使い方をしているのか第3者が検証できないため、使わないという形で整理できます。結局、使途は、ほとんど広がらないことになります。
市民オンブズマンの中では、案分を取り入れた方がいいというのが、一般的な意見です。
以上のことから、再度、案分については、きちんと検討し直すべきだと考えます。
皆さんも良ければご意見をお願い致します。』


酒井の再反論

 市民意見の聴取や、総額の拡大などまで議論の範囲を意味なく拡張しないでください。言っておきますが私の会派はそれらには少なくとも反対はしていないはずです。
 
 私は、貴方の意見の次の部分に反論しているのです。
「・・・議会改革を主導した市民派は、議会に残り、改革のけん引役をしてきました。
ところが、昨日、市議会議会運営委員会において、市民オンブズ尼崎から提出された政務調査費を案分して使えるよう求める陳情書が全員一致で否決されました。広報費や事務費などの支出で、私的な使用もあるので、案分すれば、違法性を問われることなく、気持ちよく使えますよという趣旨の提案だったのですが、おそらく議員の人たちは、自己負担が増えると考え、十分な審議もせず、滅多に行わない即決での不採択を決めました。」
 
1 政務調査費に、按分の考え方を入れるべきだ。

2 その趣旨の陳情を全会一致で退けた尼崎市議会は、改革のけん引役だったはずの市民派までも含めて改革に後ろ向きになってしまった。

3 按分を導入すれば、違法性を問われることなく気持ちよく使えると言っているのに、議員たちは自己負担が増えると考えて即決で不採択を決めた。

1 について
 これが私が反対した事柄です。理由は前回述べたとおりですが。新しい議論には  反論しておきます。

「按分がなければ支出基準内であれば好き放題に使う可能性がある。按分で自己負  担があれば必要性を考える(抑制される)」
 との主張です。

 今の尼崎市議会の使途基準のうち、どれが按分によって使用が抑制されるのでしょうか。おそらく会派広報費のことをおっしゃっているのでしょう。それ以外にはあまり思い浮かびません。逆に現在は不可となっている使途が按分によって判例のように適法となって可とされてしまうことのほうが問題が大きいと私は考えているのです。
 前回も例に挙げました。例えばガソリン代、電話代、議会外の事務所費。等々、今 尼崎の市議会では按分するまでもなく不可としている項目なのです。
 だから、広報費についても、按分することでそれを可とするのではなく、政務調査 費の本来の趣旨からして不可とするのが適当だと私は主張しているのです。
 現在その主張が通っていないからと言って、按分という危険な手法で妥協して認め るという選択はしたくありません。

 広報費については、裁判所が按分すれば適法と言っていることのほうが私には不思議です。私は何でも裁判所の判断を仰ぐということはあまり好きではありませんからしませんが、幸か不幸か尼崎市議会は広報費を丸ごと可としているのですから裁判に訴えれば白黒ははっきりしやすいでしょう。

 これが、私が即決で反対しようと考えた理由です。

2 について。
 言い訳がましいことはしたくないのですが、この陳情に関する反対の理由が上記のようなことであってもそうおっしゃるのなら「何をか言わんや」です。

3 ちょっと「上から目線」を感じます。「按分にすれば合法のお墨付きがつくから使いやすくなる、とオンブズが言ってやっているのに・・・」

 さらに議員は違法でさえなければ公費をどのように使っても恥じない輩だと思われているようにとれます。
 
 
 付記

 「政務活動費」という名称について。
 私はこの議論で「政務調査費」という名称をあえて使っています。そのほうが本来の趣旨を良く表していると思うからです。
 「政務活動費」という名前になったのは国会議員たちが、根拠法令をその名前に変えたからです。
 この変更は、単に名前にとどまらない内容を持っていました。
補助金の対象が「政務調査」から「政務活動」に変わったのです。「調査」なら「広報費」には疑問をはさめますが、「活動」なら「広報費」も含むと言い易くなります。国への陳情も支給対象に含まれました。「その他」という魔物も入りました。
 総じて、支給範囲を拡大しても良いとの内容です。

 国会議員たちは、地方議員の調査費を自分たちの「政党助成金」に近づけて、もっと使いやすくしてやろうとありがたいことを考えてくださったのではないかと私は考えています。
 だとすればこれこそ「ありがた迷惑」です。調査費が本来の趣旨から逸脱することを「助長」するのですから。

 私が議運委員のときにこの議論があったのですが、私は「名前の変更のみ、実際の支給基準は変更せず」と主張し、「電話代も・・・」などの支給範囲拡大の議論を封じようとしたのです。
 それは「内容変更無しでいく。選挙後の議会で必要なら議論。」という形で決着して今に至っています。
 その「選挙後の議会」でも、今のところ支給範囲拡大の議論は出てきていない現状です。
 そこへこの「按分で使いやすくしたらどうか」という陳情なのです。即決で否定したくなった理由も理解してもらいたいものです。

反論の対象2014/06/23

政務活動費についての丸尾県議の意見に対する反論を前回書きましたが、丸尾県議の意見の中身がわからないとのご指摘を頂きました。なるほど、そのとおりです。すみません。以下に引用します。

丸尾県議のブログより
 「私が出直し選挙で当選した不正出張事件から21年。その時に市民派が登場し、白井文市議も登場しました。議会の3分の2が新人で、右も左もわからない中、温度差はありながらも、全体で議論し、当時は先進的であった議会改革を進めてきました。その後、イメージだけで存在感を示せなかった日本新党は、消えていき、議会改革を主導した市民派は、議会に残り、改革のけん引役をしてきました。
ところが、昨日、市議会議会運営委員会において、市民オンブズ尼崎から提出された政務調査費を案分して使えるよう求める陳情書が全員一致で否決されました。広報費や事務費などの支出で、私的な使用もあるので、案分すれば、違法性を問われることなく、気持ちよく使えますよという趣旨の提案だったのですが、おそらく議員の人たちは、自己負担が増えると考え、十分な審議もせず、滅多に行わない即決での不採択を決めました。その少し前には、政務活動費の支給額を、新政会、維新、共産党などの賛成多数で、増額しています。市が財政悪化でアップアップしている状況なのに、まるで他人事。
鳴り物入りで登場した維新の議員は、選挙の公費助成を山ほど使い、政務活動費の増額に賛成し、資産公開は行わないと、旧来の保守政治家とほとんど変わりません。市民派も、存在感が薄れてきています。
全国で当たり前に作られている議会のルールである議会基本条例も、今になってやっと前に進めようとしているところ。
結局、市民が政治に強く関心を持つことでしか、政治を変えていく手立てはないのかもしれません。」

尼崎市議会政務活動費の按分について2014/06/18

 丸尾県議の「改革意欲の低下してきた尼崎市議会」「政務調査費に按分制度の導入を」というフェイスブックでの主張に物申したい。

まず、「政務調査費」や「按分制度」についての私の理解から。
 政務調査費:議員の仕事に必要な調査活動に必要な費用を補助金(公費)で助成するものです。現在は「政務活動費」と言う名称になっています。

 「調査研究費」「政務調査費」「政務活動費」と名称が変わり法的根拠や許される対象範囲に変化はありますが、今の議論には関係しないと思われますので、丸尾県議が使う「政務調査費」の名称のまま使います。
 
 按分制度:その政務調査費の支出にあたって、私的な支出が混在する可能性があり、区分けの難しい費目について、あらかじめ一定の比率(たとえば1/2)で公費支出の範囲を定めておくものです。

 さて、件の「市民オンブズ尼崎」の陳情は、尼崎市議会の政務調査費の支出に按分の考えを入れるよう求めるものです。

 この陳情からもわかるように、尼崎市議会は政務調査費に按分の考え方を入れていません。
 
 これはこれまでの政務調査費をめぐる議論の積み上げの結果です。
 その代わりそれぞれの支出項目について、政務調査費の支出対象とすることの可否をはっきり決めている、またはしかるべき制限を加えているということです。

 按分の考え方を取り入れろと言う意見は、これまで尼崎市議会の中でも無かったわけではありません。
 実は私はそのたびに反対してきました。按分を取り入れるとそれを言い訳にして、支給対象の範囲がうんとひろがって行く可能性が生じるからです。

 たとえば、ガソリン代。「議員は調査のために自分の自動車を使うことがある。按分を」
 たとえば、電話代。「これも調査に使う。議会では公用の電話が使えるが、自宅や外ではどうするのか。按分せよ」

 たとえば、事務所費。「事務所を持つ。一部は調査研究のためだ。一部は公費で負担してくれ」

   ・・・

 「切りが無くなる」と言うのが私の意見です。

 それよりは、一つ一つの項目について可否をはっきりさせるほうが、わかりやすく可否の議論もしやすいと考えます。

 調査研究ということの本質からして、すべての費目がまったく純粋に調査研究のみと言えるわけではないのですから、必要な制限を加えることでその弊害を除去できるものには制限を加えます。

 たとえば、陳情も例示したパソコンのリース料。尼崎市議会は、「議会において使用すること」と制限しています。
 按分すればこのような制限は付けにくくなります。どんな使い方でもできてしまいます。

 たとえば、書籍。これは対象に制限を加えることが難しい領域を含んでいます。私はこれも書名の公開を持って最終的には担保するべきだと言っています。どこかの市議が買ったと言われる「女性にもてる方法」、みたいな本は論外としても、可否の議論の分かれる書籍はあるでしょう。だからと言って検閲に付するわけには行きません。公開をもって、誰がどんな本を公費で買って調査研究しているか市民の目で点検しているほうが良いでしょう。按分では中身の区分けがしにくいと思います。

 たとえば、広報費。議員や会派が市民向けに配布するのですが、費用がかさむせいもあるでしょう、按分論が最も主張される対象です。
 私は、「議員や会派の広報は、政治的宣伝(それ自体悪いことではないですよ)が主な役割であって調査研究の役割はあってもわずかだから、支給対象とするべきではない」と主張してきました。
 残念ながら尼崎市議会ではこの主張は通らず、支給対象とされています。

 しかし、だからと言って按分を導入しろというつもりは私にはありません。
 按分を言い訳に認めてしまうよりは、議員や会派の広報を公費でまかなうことの是非を問うことのほうが大事だと考えるし、そのためには現状のように可否をはっきりさせる枠組みのほうが良いからです。

 さて、長々と書きました。私が不採択に回った理由は以上の理由があってのことです。この件で議論することはやぶさかではありません。

 市民オンブズ尼崎の皆さんも、ましてや丸尾県議も、尼崎市議会のこのような政務調査費についての基本的考え方と、それについての議論のつみあげをご存じなくて、今回の陳情を出されたり、「尼崎市議会全員が改革に後ろ向きだ」などと非難されたりしたのでしょうか。
 そうは思いませんが、提言ならばともかく、それを受け入れないからと言って非難するからには、より突っ込んだ調査と意見交換や議論があっても良かったのではないでしょうか。

市民の力 ニュースNo752014/02/15

議会報告 「 市民の力 」ニュースNo75」発行しました。












特定秘密保護法2013/12/12

特定秘密保護法野反対する意見書案を市議会に提出しました。


結果は、17対24で残難ながら否決でしたが、賛成討論をしましたので紹介します。


特定秘密保護法に反対する意見書(案)賛成討論

                                  
2013年12月3日 本会議

緑のかけはし  酒井 一

 特定秘密保護法の最大の問題点は、政府機関の秘密を守るために国民の知る権利を犠牲にすることを求めていることにあります。
 
民主主義においては原則としてすべての行政情報は主権者たる国民に公開されるべきものです。それを原則としたうえで、公開によって大きな社会的不利益が生じる事項について例外的限定的に非公開、秘密にすることができる。これが民主主義の原理です。
その際でも、行政秘密の対象、期間などは必要最小限に限定されたものであるべきです。

 そもそも、その秘密を守る責務は政府機関のほうにあるのであって、秘密を保護したければそれが必要最小限のものであることを論証したうえで、政府の努力において行うべきものです。
そのために政府には、秘密に携(たずさ)わる公務員や業者に罰則をもって守秘を強制し、取り締まる権限も、国民によって与えられています。

 ところがこの法案は、秘密保護の責務を、知る権利の制限という形で国民に転嫁するものです。しかも、何が秘密かもわからぬ状態で、知ろうとする行為自体も罰せられるとなれば、知る権利への侵害は歯止めのないものとなります。報道機関の取材が問題となっていますが、国会議員の国政調査権にまで処罰の手が伸びる可能性があるのです。
このように、この法案の問題点は個別、行政の秘密保護や安全保障政策の適否にとどまらず、政府の権限責務と、国民の権利義務との区分け、優劣という民主主義の根幹を崩すものであり民主政治にとって大きな禍根を残すものであります。

 提案者の現政権は民主主義についてまったくの履き違えをしています。デモとテロに共通性を見出す思想は、滑稽なのではなく、恐ろしいものなのです。

 民主主義の基本原則は情報公開です。行政秘密は例外です。しかし例外法や特別法は一般法や基本法にともすれば現実面で優越してしまいます。自衛隊法が憲法9条を事実上停止し、派遣法が人入れ稼業禁止の職業安定法を骨抜きにしてしまったように。例外法の制定は必要最小限、しかもその必要性を厳格に証明した上のことであるべきです。

 民主主義の砦たる国会にあって、ぜひとも民主主義の自殺とも言えるこの法案を廃案とされるよう強く求める意見を、情報公開という原則について国よりもはるかに意識的な自治体からこそ、ものを申すべきだと考えます。ご賛同を求めます。

酒井一はみどりの政治をこう考えています2013/05/24


◇政治は未来からのメッセージ。環境は未来からの預かりもの。

◇安定した雇用と社会的平等が経済の活力のみなもとです。

◇原発は「畳の上の焚火。」止めることからしかはじまりません。

◇平和は正義でなく友好と忍耐で守るもの。

◇防災は、最悪を想定し最善を尽くすこと。

◇福祉は人権です。恩恵ではありません。

◇いじめや体罰は犯罪です。被害者を守ることが出発点です。

市民の力 No742013/05/21


議会報告「市民の力 ニュースNo74」発行しました。