いよいよ2度目の上映です。2023/07/03

 ドキュメンタリー映画「ボストン市庁舎」を見て自治を考える会、7月6日、今週の木曜日に迫りました。この異様に長い(274分)ドキュメンタリー映画、幾度も紹介しましたが、地方自治に携わったり、関心や興味をお持ちの方は必見です。フレデリック・ワイズマン監督がボストン市役所の仕事ぶりを通じて「考えろ」と迫ります。監督はあえて何も主張しません。アイルランド系のウォルシュ市長と市民との関係を縦軸に、ただ淡々と市役所の様々な場面を切り取って見せてくれるだけです。
 にもかかわらず、「市役所の仕事」「市民への奉仕」「人権や、多様性の尊重」などなど、いろいろ考えさせられるのです。
 長丁場なので昼食休憩をはさみます。10時から4時くらいまでかかるかと思います。その覚悟でおいでください。とはいえ、もちろん途中参加、退出はご自由に。
 会場費だけ割り勘でご負担願います。

 7月6日(木)10時から16時頃
 小田北生涯学習プラザ 学習室4 「ボストン市庁舎を考える会」で表示します。

 次の週の同じ木曜日には同じフレデリック・ワイズマン監督の「ニューヨーク公共図書館」を見ます。これも205分を超える長編です。
 
 「図書館」「社会教育」「歴史資料・史料」など、これも考えさせられます。

 7月13日(木)10時から15時頃まで
 小田北生涯学習プラザ 学習室2 「ニューヨーク図書館」で表示します。

ワイズマン監督の2本のとても長いドキュメンタリー、「ボストン市庁舎」と「ニューヨーク公共図書館」一日かけてみる値打ちありです2023/05/20





映画「ボストン市庁舎」先日の上映を見逃した方が何人かおられます。また同じフレデリック・ワイズマン監督の「ニューヨーク公共図書館」というドキュメンタリー作品もなかなか刺激的なのです。

 そこで、この2本を見る会をやろうと思います。酒井の個人的催しです。
 それぞれ次の日程です。
 
 費用はいただきません、会場費を分担していただきます。

第1回 「ボストン市庁舎」(前後編あわせて4時間半あります)
7月6日(木)午前10時から午後4時まで 午前第一部 昼休み有り 午後第二部
会場 尼崎市小田北生涯学習プラザ 学習室4  

押し(お勧め)の言葉

 「自治」や「市民参加」や「多様性」。自治体において今や当たり前のように言われるこれらの理想が、このドキュメンタリーに描かれるボストン市役所の様々な営みの中に、まだ十分ではないけれど手触りを持った現実として切り取られています。
 「これこそが自治だ」「これが自治体の仕事だ」と思わせる説得力がありました。そして、その場面場面が、私たちが日ごろ接しているこの国の自治体の営みとそんなにかけ離れたものではないことに希望が持てました。私たちの自治体もまだ捨てたものではないのかな。

第2回 「ニューヨーク公共図書館」(前後編あわせて3時間半)
7月13日(木)午前10時から午後3時まで 午前第一部 昼休み有り 午後第二部
会場 尼崎市小田北生涯学習プラザ 学習室1 

押し(お勧め)の言葉
   
 前にも書きましたが、この映画、冒頭いきなり、宮殿のような建物のロビーでリチャード・ドーキンスが公開講演をしているシーンから始まります。「利己的な遺伝子」で有名なイギリスの動物行動学者です。キリスト教の天地創造説がいまだに結構広く信じられているアメリカで、図書館の社会  教育機関としての矜持が感じられる公開講演会だと思います。
 このドキュメンタリーからはニューヨーク公共図書館の仕事の深さと広がりが、日本の図書館  とはけた違いであることがわかります。
 特に、日ごろ尼崎の図書館政策の貧困に不平を鳴らしている私からすると、是非多くの人に知  ってもらって一緒に図書館政策の抜本的改革を求めていきたいと思っています。

敵基地攻撃能力と専守防衛2023/02/08

「敵基地攻撃能力」と「専守防衛」
                            2023年2月8日                               
                              
日本の政府が「敵基地攻撃能力」と大軍拡を言いだしました。
 先日の朝日新聞に航空自衛隊の元航空団指令 林 吉永さんのインタビューがありました。
当時彼は、ソ連の領空侵犯機に対してスクランブル出動をする部下に、
「引き金を引くな」
「相手に先に撃たれて脱出することは批判をされるし恥辱でもあるだろうが、その覚悟と忍耐によって日本の正義が保障されるのであればパイロットは真のヒーローたりうる」と指導していたそうです。これは自衛隊の方針ではなく、処分覚悟であったと言います。
ここでは「撃たれて脱出」と言っていますが、「撃たれて死ぬ」ことも当然意味していたはずです。
またこうも言っています。
「専守防衛の短所は自国民の損害や犠牲が避けられないことです。専守防衛とは、戦闘が自国領域内で行われることを意味するからであり、そもそも特別の覚悟を要する戦略なのです。他方、長所もあります。自衛のための戦いであることが理解されやすく、戦闘の正当性が担保されるため、国際的な指示や支援を得やすいことです。」
ウクライナ戦争については、こう語りました。
「ロシアによる侵略を自国の深くまで受けながらロシア本土を攻撃することに抑制的な今のウクライナは、まさに専守防衛的な戦いをしています。自らの闘いの正しさを示すことで国際社会の支援を得ようと努める現実的で重い決断が見えます。」
 
 米ソ冷戦当時の日本の軍事担当者の重い思考が伝わってきます。

政府は、「敵基地攻撃能力」「反撃能力」というのは、より長距離を飛ぶミサイルを装備したり、偵察能力を向上させたり、武器の備蓄を増やしたり、という、兵器や軍事的能力の問題であるかのように国民には説明しています。
その上で「専守防衛の方針は変わらない」とも言っています。しかし、ここに詭弁があります。
林、元指令が言うように「専守防衛」とは、相手より先に撃たないこと、他国領土で戦わないこと、を意味しているのです。それは相手より先に自分たちの側に犠牲や損害が出ることを覚悟した戦略なのです。先に撃たせないための「敵基地攻撃」は「専守防衛」とは異なるものです。
そもそも兵器は使い方によって盾にも鉾になるものです。現在の自衛隊の兵器でもやろうと思えば外国領土を攻撃できないわけではありません。「専守防衛」とは、その兵器の使い方について「先制攻撃しない」「自国領内に限る」という縛りをかけたものだったのです。
政府がわざわざ「敵基地攻撃能力を保有する」と言いだしたのは、この国の基本的防衛戦略を「専守防衛」から変更するということに他なりません。
軍事費の倍増や兵器の能力向上は、もちろん許すわけにはいきません。しかし同時にその裏に隠された基本的防衛戦略の変更を見逃さずに暴露しないといけません。

繰り返します。政府は、「専守防衛」をやめて、先制攻撃や国外での戦闘を可能にする方向に、戦争についてのこの国の基本的考え方を変えようとしているのです。

武力行使の正当性を確立するために、先に攻撃され自国に被害と犠牲がでることを覚悟のうえで、「専守防衛」という戦略を守ってきた林 元指令のような自衛隊幹部がいた時代は終わってしまったかも知れません。
実は、「集団的安全保障」にかじを切った時点で、すでに「専守防衛」は捨て去られ、この国の防衛戦略は変更されていた、ということなのでしょう。
今は、ウクライナ戦争と中国の拡大への恐怖心に付け込んで、その新しい戦略思想で国民の説得を試みているということでしょう。それも「やられる前にやってしまえ」という極めて低劣な、恐怖への反射を煽る形で。

我々は、今一度「専守防衛」という考え方の重要性を見直さなくてはならないのではないでしょうか。軍事力の不保持という理想は維持したままでも「専守防衛」の意義を語る勇気がいるのではないでしょうか。
戦争や安全保障の議論の中に「正当性」や「正義」が語られ、それを求める「国際世論」が大きな力として位置付けられる、そういう時代に私たちはようやくたどり着きかけていることを忘れてはいけません。その意味でウクライナの闘い方が、純軍事的には不合理ともいえるくらいロシア領内への攻撃を抑制している事にも思いを致すべきです。

もちろん、私たちの国が国際社会に向けて「専守防衛」の正当性を主張するためには、相手に攻撃させないだけの、国としての「正義」と「正当性」を、近隣国との過去の関係の反省、謝罪の上に確立しておくことが必要であることはいうまでもありません。

昨日ご案内した「ボストン市庁舎」を見る会の日程変更2023/01/20

 ごめんなさい。「ボストン市庁舎」を見る会、日程を以下のように変更します。
変更前2月26日(日)午後3時から6時。
変更後2月25日午後1時から6時。

会場は同じ、東難波町内会館です。

ボストン市庁舎を見て自治を考えよう2023/01/19

 ご案内  「ボストン市庁舎」を見て、自治を考える夕べ

この映画はフレデリック・ワイズマン監督のドキュメンタリー映画です。
アメリカのボストンの市役所の多様な仕事を、アナウンス抜きでひたすら撮り続けた2部・計4時間以上の大作です。この監督には「ニューヨーク公共図書館」というドキュメンタリー作品もあります。

昨年の1月、私のブログに書いたこの映画の紹介を引用します。 
「ボストン市庁舎」、見てきました。
こう書くと「酒井はアメリカに行ってきたのか」と勘違いした人がいたようですが、
そうではありません。すごい映画を見てきたのです。
   自治体や福祉に関わる人必見です。
   暮らしを良くし、人権を守るために努力を共にする職員と市民の姿を縦糸に、
その努力の「良きリーダー」として信頼を集めるウォルシュ市長が横糸で絡みます。
こう書くと、「政治宣伝か?」と、見る気を失う人が多いのでは、と心配になりますが、
とにかく、ちょっとしたショックでした。
   私が夢見てきた自治体の理想的な姿がこのボストン市庁舎のドキュメンタリーに
切り取られていることに、そしてそれが私の知っている(尼崎などの)市役所の現実と、
それほど「かけ離れていない」ことにやや興奮してしまいました。
努力には希望があり、それぞれの努力はそれほどかけ離れたものではないのです。
繰り返します、必見です。

1年経ってようやく一緒に見る機会を持ちます。自治とか市の政治とかを考える糸口になればと思います。
松本市長にも「ぜひご覧下さい」と勧めていたのですが、「多忙でなかなか一人だと見る時間が取れない」との事ですので、この会にお誘いしました。変な時間なのはその都合です。
1度に4時間見るのは大変です。その日は第1部だけにして、次回第2部の日を相談したいと思っています。
〇日時 2月26日(日曜日)午後3時から6時
〇会場 東難波町4丁目8―11 東難波連合福祉会館
(信じられないことに、中央北生涯学習プラザは日曜日の夜の部がないのです。)
〇参加費 会場借り上げ料を割り勘してください。

ご参加の方は酒井まで連絡下さい。電話090-1903-3171

光本議員の政務活動費不正使用疑惑に対して「審査会」を開かせよう2022/09/06

 光本圭佑さんという、尼崎で結構支持を集めてきた市議会議員。先だって政務活動費の不正使用疑惑が明らかになり、議会全体から「辞職勧告決議」を受ける羽目になりました。
 当の光本議員は辞職する気配もなく、この9月議会でも一般質問に立とうかという勢いです。

 どういう疑惑だったのか。
 彼は市議会の会派「日本維新の会尼崎市議団」の幹事長でした。したがって政務活動費の使用を決定する責任者です。
 大手家電量販店からパソコンなどを購入。その報告を議会事務局に提出するにあたって、金額の内訳を示す納品書を偽造しました。この事実は本人も認めています。「納品書が見当たらなかったので、とりあえずパソコンで作って提出した。見つかったら差し替えるつもりだった」と彼は言い訳しています。理由はどうあれこれは「私文書偽造」という刑事犯にあたります。
 納品書がないのなら、その量販店に購入内容を証明してもらうことはできたのではないでしょうか。いやその前に、どうして監督者である議会事務局に相談しなかったのでしょうか。
 しかし、これはまあ買ったことが事実で適切ならば、判りやすい悪事ことです。
 
 これからあとが凄いのです。まさに疑惑です。
 まず、光本議員が会派の口座に支給された政務活動費の中から250万円を引き出させ自分の口座に移していたという事実です。会派の他の議員は知らない間にです。
 「会派分裂のおそれがあり、政務活動費が持っていかれるのを防ぐためだった」と彼は弁明します。しかし、会派が分裂すれば政務活動費も人数に従って分けられることが当然であり、隠す必要はどこにもありません。 
 そもそも、どんな理由があれ、公式の会派口座から、具体的な支出目的もなく自分個人の口座に公金を移すなどと言う事が許されるわけはありません。着服の疑いを抱かれます。
 ひょっとして彼は、「政務活動費は会派のもの。会派の考え次第でどう扱ってもいい。」と思っていたのではないでしょうか。
 そうではないのです。政務活動費は市からの補助金ですが、年度末に残れば市に返すことになっています。使い方も議長ー市議会事務局の監視・監督の下に置かれている、半ば以上は公金なのです。特に尼崎市議会では、30年前のカラ出張事件からの再出発以来、議員の公金の使い方を厳正にするためにたゆむことのない努力が積み重ねられてきました。これは、その伝統を踏みにじるようなお金の扱い方でした。

 もっと怪しいことがあります。政務活動費で会派の広報誌を作ることが認められています。
 光本議員は2021年11月に、製作費と配布費を某会社に自ら現金で支払いました。そもそもこのような支払いは経理担当者か会派職員が行います。幹事長は支出を決定しますが自ら直接現金で支払いするようなことはありません。
 この発注はその後キャンセルされたましたが、お金が返金されたのは約半年後の年度末でした。半年も返金が遅れるというのはちょっと考えられません。その間、お金はどこでどうしていたのでしょうか。

 他にも何件か、変な政務活動費の使い方があります。

 総じて、何よりも問題なのは、光本議員がこれらの疑惑に対して、納品書の偽造以外は何ら説明をしていないことです。議会の「辞職勧告決議」もこのように説明がないことに対して上げられたのです。
 あろうことか光本議員は、その後説明を求められた委員会への出席を拒否する口実に「事実関係が不明瞭なまま光本の辞職勧告がなされ・・・誠に遺憾・・・」などと代理人を通して述べています。事実関係を明瞭にするのは光本議員の責任なのです。
 (警察の捜査の中で明らかにしていきます。」とも言って議会での説明拒否の言い訳にしています。
 「警察の捜査中なので、他での説明は避けさせてもらいます」という言い訳は一般の被疑者なら通用するかもしれません。被疑者の防衛権です。
 しかし光本議員は、被疑者として警察の捜査の対象になる前からそう言っていました。自分から警察に行ったそうです。(いろいろ言われていますが僕は無実です。捜査してください)とでもいったのでしょうか。言われた警察も困惑したことでしょう。警察は無実を証明するために捜査する役所ではありません。
 その後議会による告発があって、警察が捜査する局面になりました。しか今回の疑惑は「政治家による公金の使い方」に関するものです。一般の被疑者のような「防衛権」は言い訳にはなりません。一般の事件ならば有罪の証明責任は警察・検察側にあるのですが、「政治家による公金の使い方」に関する疑惑は当該の政治家が晴らさねばなりません。その責任は政治家にあるのです。そこには「防衛権」はありません。「李下に冠を正さず」が求められるのです。

 その意味で尼崎市議会議員政治倫理条例は、市議会議員に対して市民の請求に応えて疑惑の説明をする責任を課しているのです。その請求も「個人でだれでも」という訳ではなくて、有権者の150分の1の署名というハードルを課して乱用を防いであります。

 議会に対しても説明を拒んでいる光本議員に対して、主権者である市民から「我々主権者に対してまで説明しないとは言えないだろう」と迫ろうじゃありませんか。

 150分の1は3000名弱です。不可能ではない数です。どうぞ一緒に頑張りましょう。

光本議員の弁明2022/06/28

 尼崎市議会、維新の光本議員の政務活動費の「不適切」使用問題。尼崎市議会の公費厳正使用の歴史を作ってきた者として、幾人かの退職市議と語らって、抗議の声明を出し、スタンドデモを6月議会最終日に実行しました。

 スタンドデモ自体は、騒ぐ形にはせず「深く静かに」抗議する形にすべく参加を控えてもらった結果、数人の元議員と市民でやることになりましたが、現職の議員の皆さんとも怒りを共有することができ、やった意味はあったと思います。
 
 午後からの本会議では、光本議員への「議員辞職勧告決議」が予定されていたので、仕事に行く前にその前半部分だけ傍聴することができました。

 提案説明と、光本議員の弁明を傍聴できたのですが、彼の弁明には正直失望しました。
 私の主観かもしれませんが、彼の弁明の主軸は「自分は、軽率なことはしたが、辞職を求められるような悪いことはしていない」「警察に捜査してもらうことで説明責任を果たす」というものでした。
 県警の捜査二課(詐欺など知能犯担当)に行って「資料を提出して任意で捜査してくれるようお願いした」というのです。
 彼はつまり「僕は悪いことはしていません。捜査してそれを明らかにしてください」と警察に要請したというのです。
 でもちょっと待ってください。
 警察は犯罪があったと思われる事案について捜査するのが仕事です。どこの警察が「犯罪はないことを証明してくれ」という訴えに応じるのでしょうか?僕の無実を証明してください」という求めに応えることは警察の仕事ではないでしょう。
 現時点で、だれからも違法行為=犯罪の存在が警察に通報されていないのです。
 県警捜査二課もさぞ戸惑ったことでしょう。
 「弁護士を同行した」と言っていますが、その弁護士さん、警察の仕事について当該議員に説明してあげるのが仕事でしょう。
 
 これは素人考えかもしれません。ひょっとすると警察はこんな仕事もするのかもしれません。
 だったら私も自分の身の潔白を・・・。(これは冗談です)
 
 しかしこのことだけは言えます。
 光本議員、自分の行為が「違法」や「不適切」でないという説明はご自分でなさい。それが本当の「政治家の説明責任」です。
 それとも、警察をかませることで「その件は司直が捜査中なので、お答えを控えます。」という、どこかの偉い政治家の答えをまねようという目論見ですか?

 2度目のタッチアウトですね。彼の潔さについて、わずかに希望がなかったわけではないのですが・・・。ほんとに失望しました。

光本弾劾 尼崎市議会前スタンドデモ2022/06/23

尼崎市議会、光本議員による政務活動費の不適切な使用。
 30年前のカラ出張事件も議員が公金で活動するにあたっての不正使用であるという意味で今回同様の事件でした。以来、尼崎市議会は、「議員の公金の使い方の厳正化」を目指して、制度改革や規範作りに努力を積み重ねてきました。
 カラ出張事件という歴史を背負った尼崎市議は、他のどの議会の議員にも増して、その活動のために提供されている公金の使い方に厳正でなくてはいけない、それが使命でした。
 今明らかになっているだけでも、今回の光本事件は、その使命を果たしてきた努力の成果ー歴史を土足で踏みにじるものです。単なる「不適切」にとどまらずこのような努力とその成果への冒涜だと断じます。
 光本圭佑さん、いかに他の面で秀でようが、尼崎市議たる者、とりわけこのような不始末だけはしてはいけなかったのです。
 現役の議員諸君にあっては光本議員の辞職勧告を決議する動きがあると聞きました。カラ出張事件の時と違って議会の自浄作用が働くものと期待します。
 私たち議員経験者も、尼崎の市議会のこれまでの努力の歴史を背負って、彼の責任を問うべきだと思います。
 私は、現在開かれている議会の最終日、6月28日、市議会の前で弾劾のスタンドデモをすることにしました。朝9時から10時30分までです。ご賛同いただけるかたの参加を訴えます。

「外国人労働者、移民問題」 その道の第一人者が語る講座 のご案内2022/06/05

「外国人労働者、移民問題」
その道の第一人者が語る講座 のご案内
 日時 6月15日(水)18時から
 会場 尼崎市立中央北生涯学習プラザ(梅プラザ)「阪神合同労組」で借ります。
 先週の木曜日、6.2、鳥井一平さん一行が尼崎にやってきたので、一緒に駅前で「外国人技能実習生制度反対」のスタンディングキャンペーンをしました。
 「それ誰?」って?
 無理もありません。私の運動仲間です。当然に無名です。
 でも、彼は、日本の外国人労働者問題に取り組んで、アメリカ国務省から「人身売買と闘うヒーロー」として表彰された人なのです。アメリカは奴隷制反対を「国是」としている国です。その「国是」の立場から表彰されたのですから結構なことだと思います。
 世界中で顰蹙を買っている日本の外国人技能実習制度。実際は労働者として働かせていながら、移民としても労働者としても認めず、「実習」の名のもとに奴隷のように、自由もなく劣悪な条件で働かせる「現代の奴隷制度」と呼ばれています。鳥井さんはその問題に、現場で取り組んできた第一人者なのです。
 なぜ今、改めてそのキャンペーンなのかというと、この制度を含めて、外国人労働者政策について政府に見直しの動きがあるそうなのです。
 私は、ウクライナの難民についてはもろ手を挙げて歓迎している(それは良いことなのですが)日本が、他方では外国人労働者に労働者として、人間としての権利を認めず、また(ウクライナ以外の)難民受け入れには世界でもとびぬけた厳しい対応をしている現実を想い浮べました。
 そこで、その場で鳥井さんに話を付けてこの次に関西に来る6月の15日に尼崎で話してもらうことにしました。
 難民問題と外国人労働者問題はこの国の人権政策に刺さった大きな棘(とげ)で
す。
 いまや、この課題での世界的人物になってしまったわが仲間の話です。ぜひ、「生の鳥井一平」の話を聞きに来てください。
 改めて
 6月15日18時
 尼崎中央北生涯学習プラザ
 阪神合同労組主催 にしてもらいました。

ウクライナ戦争について 再び2022/05/24

2022年5月24日

酒井 一

ロシアの侵攻を受けているウクライナを引き合いに出して、日本の防衛力の強化を主張する人たちがいます。
その主張は、「核共有」という名の核武装、「敵基地攻撃能力」という名の先制攻撃、などです。それは、中国や「北朝鮮」やロシアなどを「仮想敵国」とする論理の中での軍事のことで、これまで憲法9条をめぐって展開されてきた自衛権―専守防衛の枠組みを超えています。そして、この「軍事的論理」こそ、今のロシアが陥っている陥穽なのです。

第一の落とし穴を「地政学的論理」と仮に呼びます。軍事的関係と地理的関係を―なんといえばいいのか―強引に結びつける考え方です。
典型的には、仮想敵国を作り、それとの間に「緩衝地帯」を求めます。仲がよかろうが悪かろうが、隣国同士は折り合いをつけて暮らすしかないのに、「気に入らないからやっつけろ」というのです。ある国を、戦争もしていないのに敵国とする考え方もいかがなものかと思いますが、その国との間に「緩衝地帯」を求めるに至っては、「その『緩衝地帯』にも人々が住んでおり、国家や社会があるのですよ。緩衝地帯とはなんという失礼な・・・」と言いたくなります。
これは、まさに今のロシアが主張している考えです。曰く「NATOが東に拡大してロシアの国境に迫っている。これは許せない軍事的脅威だ。」「隣国ウクライナが非友好的になることは我慢できない」・・・近隣関係を軍事的関係に従属させ、軍事的関係で処理しようとする考え方です。

日本もかつてこの論理にはまって国を誤ったことがあるのです。
かつて日本は「朝鮮がロシアの勢力下にはいることは国家の危機だ」との理屈で日露戦争を起こし、朝鮮半島を植民地にしました。また「中国東北部(満州)はソ連に対する緩衝地帯」との考えのもと戦争を起こして傀儡「満州国」を立ち上げました。その次は、「中国が日本に敵対している」ということで攻め込んでいきました。
その際は「中国と日本は『同文同種』」と言って兄弟であるかのように言い、「暴支膺懲(暴虐な支那を懲らしめる)」という、とても上から目線なスローガンを掲げました。
「ウクライナとロシアは同じ民族」「ウクライナがナチズムになるのを阻止する」という今のロシアの「大義名分」とそっくりです。
そして、欧米側の支援のもと予想を超える中国の抵抗に戦争が長引き、兵力の逐次投入や補給兵站の不足という拙劣な戦争指導で苦戦したこと、さらに、戦えば戦うほど国際社会で敵が増え、世界の世論を敵に回して孤立していっていることも、似ている点が多いことに戦慄さえ覚えます。

私たちが、ロシアのウクライナ侵攻から教訓にしなくてはいけないことは、「軍事力の強化」云々ではなく、これからはこの「地政学的論理」の落とし穴にはまらないようにしなくてはいけない、ということ以外ではありません。日本の政権もマスコミも、ロシアのウクライナ「侵略」とは決して言わないのはなぜでしょうか。諸外国はすっきりと「侵略」と言っているにもかかわらず、です。そこに、かつての誤った戦争政策を真正面から反省していないこの国の病弊を見るのは無理筋でしょうか。

教訓にすべきことの第二は、これも適切な言葉が見当たらないのですが、「拡張された国益―民族主義的、イデオロギー的国益」とでも言うべき観念にとらわれてはいけないということです。
 ロシアの行動の背景にはユーラシア大陸の大半に版図を拡げた旧ソ連時代の記憶があると思われます。そのもとではウクライナもベラルーシも、ジョージアも、ロシアを盟主とするソビエト連邦の傘下にあったのです。プーチンの振る舞いがその記憶にとらわれたものであるということは、争えないところでしょう。観念的に拡張された「民族主義的国益」です。

 今、日本の軍備拡張を主張している人々の脳裏をよぎっているであろう「国益」の重要部分は三つの領土問題でしょう。尖閣列島(魚釣島)を中国と、竹島(独島)を韓国と、そして千島列島をロシアと、この三件の争いがナショナリズムを煽り、「国防」を主張する材料になっています。その先兵である「維新の党」の若い議員が言ったように、かれらの思想では「領土問題は戦争でしか解決しない」のです。
 
 しかし、冷静に考えると、これらのいずれの争いも、「国の命運をかけて軍事的手段に訴えてでも」争わなくてはいけない「国益」がかかっているのでしょうか?私にはいずれの争いも経済的、社会的な打開の道がありそうに思えます。海底資源と漁業資源の話は経済的交渉のテーマになるはずです。海域の自由交通権問題も同じです。そこにお互いが軍事の論理とイデオロギーに絡みつかれた「国益」を持ち込みさえしなければ・・・。

イデオロギーと軍事的論理で化け物のように拡大された「国益」。その「国益」をその国の人々が暮らしていく上での利益にまで還元してしまえば、事態はもっと平明なものになるはずです。

今の世界で、国際紛争を引き起こし、多くをこじらせている大きな原因の一つがこの「拡張された『国益』=ナショナリズム」だと思います。
これから免れた国際紛争の解決の道筋を探らねばなりません。

以前にも書きましたが、まる一世紀歴史を巻き戻したかのようなロシアの侵略、そしてそれをめぐる軍事的地政学的論理とイデオロギー的ナショナリズムに絡みつかれた戦争拡大の危機¬―戦争を解決するに戦争をもってする―。今回も我々はそのディレンマから解き放たれないかに見えます

この危機に対抗するものは、今回大きく登場した、全世界の人々の「世界世論」とでもいうべき発言と発信の高まり以外にありません。国々が語る「国際世論」ではなく人々が発する「世界世論」です。この「世界世論」は情報・通信の飛躍的発達で、以前では考えられなかった規模と速度で影響を拡げます。
そしてその「世界世論」は、パリ不戦条約以来、現在の国連憲章、日本国憲法などに続く、戦争否定の思想に依拠しています。
「人間の尊厳」を基本として戦争を否定する考え方は、今や単なる「理想」「たてまえ」の域を超えて、国際法規の地位を確立し、世界の人々の「世界世論」をその基礎に持つようになったのです。

閑話休題
もう一つ、その陰に起きている恐るべきこととして、マスコミの視点の変化を挙げておかねばなりません。
ゴールデンタイムのテレビニュースに軍人が、解説者として、したり顔に出演し、戦争を地政学的に説明することが蔓延しているのです。地政学的には戦争は必然として説明されます。地政学的には「敵」を作った限りは緩衝地帯が必要となり、「国益」を拡張すれば、無際限な領土拡大が必要となるのです。ヒトラーの最も説得力のあったスローガンは「東に生存権を拡張する」だったのです。

もっと矮小なことですが、悲しむべき事に、情勢を狭い「軍事」で説明することが流行しだしました。それも軍人が出演して、です。
どう前線が動いたか、ならまだしも、アメリカが供与した「(おそらく155mm)りゅう弾砲」の数が戦局を左右するものであるといわれます。対戦車ミサイル「ジャベリン」や対空ミサイル「スティンガー」の効果が重大事として報道されるニュースに浸かってしまった我々に、戦争をやめさせたり、回避する道筋を考えたりすることは容易ではなくなってしまいます。
マスコミもかつてハマった落とし穴に気を付けてほしいものです。