民間保育園の土地代2017/01/31

えっ、保育園から土地代を取るの?

 尼崎市はこのたび、民間法人の保育園などに無料で貸していた土地について、地代を取ると言い出しました。
 対象になるのは、民間の保育園、特別養護老人ホーム、障害者施設などです。

 社会福祉法人がやっているのは本来市がやるべき福祉事業です。特に保育所などは市立保育所を民間の法人に引き受けてもらうときに、地代無料を条件にしてお願いしたのです。いかに半額とはいえ「地代をよこせ」とはどの口で言えるのでしょうか? 
 それも、「いきなり」です。1月半ばに議会に報告して、2月には制度として決めると言います。決めてしまえば、役所はあとには引きません。緩和措置などをするにしても、最終的には地代を取ることになります。

地代は保育士の給料を削って払う?

 社会福祉法人は、もともと儲けを出してはいけません。新たな支出となる地代をどこからひねり出すのでしょうか。
 例えば、保育園の場合、保育料は市が集めます。園には別に決まった額の費用が市から支給されるのです。地代の支出が増えたからといってその分が増えるわけではありません。
 いきおい、他の支出を削らなければなりません。人件費にも影響しかねません。「保育士の給料をあげなくてはいけない」といわれている最中に、です。

 そもそも、保育所などに無料で土地を貸すことは、市の政策を進めるためではないのでしょうか。現に、市役所の中でも、保育や高齢者、障害者を担当している部署からは反対の声があると聞きます。これは市の財産を管理する部署の「土地を貸すなら地代は当然」という一面的な理屈がまかり通ったとしか思えません。

 市民の福祉の推進のために、政策的に考えなくてはいけないことが、地主の論理に牛耳られてしまっていいのでしょうか?

茨木市議選選挙ポスター貼りの応援2017/01/16

他の掲示板では10番目前後だったんですが。
 茨木市議選のポスター貼りの応援に行ってきました。
 朝、尼崎を出るときは晴れ。天気予報が大騒ぎしていた雪は、気配もありません。
 前日に茨木の選対から「車は冬タイヤを履いているか?」との問い合わせがあったので、雪の覚悟はしていたのですが、肩すかしを食ったような気持ちで出発。

 しかし、茨木市内では雪がちらつきだし、分担地域になった山手のほうに向かうころから雪は次第に激しくなり、進むにしたがって路面にも積雪が。私の車のスタッドレスタイヤは4年目の老朽品。果たして役に立つやら・・・。

 時によっては「吹雪」といえるような吹き降りの中、山道を「こんなところでお前と一緒に遭難するのはいやだ」という仲間の悲鳴を尻目に、「○○宅前のガードレール」(○○さんって知らんし!)というような、とてもローカル色豊かな掲示板の位置表示を頼りに、滑るタイヤをあやつります。

 奮闘の甲斐あって、他の候補者よりかなり早く貼れているようで、ある山の中の掲示板では、なんと一番乗りの「名誉」に輝きました。思わず記念写真。(写真では3枚貼ってありますが、3枚一緒に貼っているのです。)

 しかし、後から考えると、峠を越えたところの、何か出そうな古いお宮さんの前にあったあの掲示板は、他の候補者からは見捨てられていたのではないでしょうか。それとも悪いキツネに・・・?
 背景には、おそらく新名神高速のものであろう工事現場が広がってはいたのですが、あたりには人っ子一人見当たりませんでした。

園和幼稚園廃園問題について2017/01/13

 園和幼稚園の廃園についての議案と、関連する請願に対しての昨年12月議会での私の対応について御説明します。

 今回提出された請願は、園和幼稚園について、
①耐震化工事を行うこと
②今年10月の園児募集の結果が定員に満たず、暫定園としての延長基準に達しなくても、廃園決定を1年見送り、耐震化工事の後、来年度の募集結果によって判断すること
を求めるものでした。

 この請願は、10月の園児募集の前に準備が始まりました。しかし、請願の提出は12月議会の直前となり、請願の準備を背景に教育委員会と園和幼稚園の廃園を延期するための議論をする機会は作れませんでした。暫定園の取り扱いは条例ではなく教育委員会の権限であるため、教育委員会との議論は必要でした。
結局、請願と同時に、廃園議案が提案され、同じ議会で審議されることになりました。廃園の議案は、それを可決すれば「廃園」となります。他方、否決すれば「存続」となります。端的に「廃園」か「存続」かが問われるのです。
 他方で、請願の第2項は、「決定の延期」を求めるもので、存続か廃止かを決める議案への賛否では表せない内容でした。

 私は「尼崎市幼稚園教育推進プログラム」(以下「プログラム」)に反対ではありませんでした。子どもの数が減っていき、その中でも幼稚園に対する需要は減少していく傾向の中で、この「プログラム」を実施することで、子育て支援の力をより効果的な分野に向けることは必要だと考えるからです。さらに、大庄、立花東、武庫北という他の暫定園が、反対の声もある中で基準どおり廃園が進められてきたことも考え合わせると、最後の園和幼稚園だけを存続(廃園の延期ではなく)することはできないと考えていました。
 そこでやむなく廃園議案に賛成したのです。廃園議案の可決によって、請願の第2項は自動的に「みなし不採択」となりました。

 私は会期中も、議案と請願の矛盾を回避し、「プログラム」の枠組みの中で請願の趣旨(廃園決定の延期)を生かすための方策をさまざま探りました。しかし、暫定園の処置は教育委員会の裁量であること、などの理由で方策が見出せずに終わりました。

 振り返ると、私は、このように廃園議案が提案された場合、これを否決すれば園和幼稚園の存続を決めることとなり、「プログラム」そのものの否定となることと、他方で、請願が「プログラム」を前提に、園和幼稚園の廃園決定を「延期」するように求めている事との間の矛盾が十分認識できていませんでした。その結果、請願者の皆さんの期待を裏切ることになった事について、お詫びします。議案の提出からの時間が短く、検討と議論に時間を費やさざるを得ず、請願者の皆さんへの御説明等がほぼできずに終わったことも申しわけありませんでした。

 なお、継続審査となっている第1項の「耐震化」については、「子どもたちの命を地震から守るための措置を」と強く教育委員会に求めていきます。


                                                   酒井 一

「原発事故対策にヨウ素剤の準備を」質問しました2016/12/10

①②・・・が質問です

2016年12月議会一般質問 
                            緑のかけはし 酒井 一
            原子力防災計画について

 地域防災計画の中の原子力防災について、中でも最も大切な被曝防護に重点を置いて質問します。
 被曝防護には避難、屋内退避、飲食物対策など様々な措置があります。

1 避難

まず避難について伺います。避難には他都市からの避難住民の受け入れと、尼崎市民が市外に避難することの両面があります。

避難の受け入れについては、本市の地域防災計画の原子力災害に関する記述では、福井県に立地する原子力施設の事故を想定して、 [第4章第3節大規模事故等の災害応急対策6応急対策を実施する(5)原子力災害対策]の中に「関西広域連合がマッチングした対象市の避難住民を受け入れる。」としてあります。そこで伺います。
 ① マッチングはあらかじめ行われているのですか? とすればどの市町ですか?
 尼崎市の受け入れ対象の人数は? その上限は? 尼崎市ではどの施設に受け入れるのですか?

以降の質問は一問一答で行います。

一問一答

 (実現可能性について論評あればする)
次に、尼崎市民の市外への避難について伺います。
 ② 原子力防災に関して、このように避難受け入れについての記述はありますが、尼崎市民の市外への避難についての記述は無いように思います。無くてよいのですか?

(答弁)「国の指針で尼崎には避難計画の必要がない」

確かに、「原子力災害対策」の章の中には、「応急活動」の項に「避難及び状況調査」という項目があるので、避難についての記述があるのかと思いきや、防護措置として「屋内退避と飲食物の摂取制限」さらに水道水の摂取制限があげられているだけです。それ以外には「避難」という言葉は「避難の受け入れ」として使われているだけで、尼崎市民の避難のヒの字もありません。

 お尋ねします。
③ 原子力災害時の尼崎市民の避難ということについては「想定しない」というのが、現行地域防災計画の原子力防災についての尼崎市の考え方だということがわかりました。しかし、これからもそれでいいと考えているのですか? 福島原発事故において、国の5km圏、10km圏の考えが全く役に立たなかったことを想起すべきです。国の指針丸呑みでいいのでしょうか?「45万人の避難は考えられない。だからそんな想定はしない。起きないことにする」福島原発事故の事故調査委員会の報告が連想されます。「  」
お考えをお聞かせください?

 被曝対策
原子力災害時の尼崎市民の市外への避難は考えない。屋内避難だけで対応する。その考え自体に大きな異議を申し立てたいのですが、いずれにしても被曝防護の手段は可能な限り、つくされなければなりません。

そこで、続いて内部被曝の防護手段としての安定ヨウ素剤の準備について伺っていきます。現在の尼崎市地域防災計画の原子力災害対策では安定ヨウ素剤の使用にはふれられていません。
 安定ヨウ素剤とは何か。原子力事故の際に放出される放射性物質のひとつにヨウ素131があります。これは自然界に存在するヨウ素127の放射性同位元素で放射能があります。体内に取り込まれると甲状腺に集まって甲状腺がんの原因となります。特に甲状腺の発育が盛んな子どもたちに危険だといわれます。
安定ヨウ素剤は服用することで体内のヨウ素を飽和状態にして、後から入ってくる放射性ヨウ素131の吸収を妨げようとするものです。放射性ヨウ素の半減期は8日と短いので一定期間服用すれば効果はあるとされています。
 チェルノブイリ原発事故後に子どもたちに甲状腺がんが多発したこと。福島原発事故の後でも甲状腺がんの多発が報告されていることなどから、原発事故後の被曝防護の手段として推奨されています。
 
安定ヨウ素剤の扱いについて、国の「原子力災害対策指針」では、PAZ(5km圏)では事前配布。UPZ(30km圏)では備蓄と指示されています。
 兵庫県の地域防災計画は今年の見直しで安定ヨウ素剤の準備を見送りました。
 他方で、篠山市は30km圏外であるが安定ヨウ素剤の事前配布を決め、実施しています。

兵庫県防災会議 原子力防災計画専門委員会の議事録から兵庫県が見送った理由(□印)と思われるものを順次拾って尼崎市の見解を質して行きます。  

□ 「ヨウ素剤は副作用などのリスクがある」
④ 篠山市の見解によると、「副作用は少ない。間違って飲んでも過剰なヨウ素は排出される」とのこと。尼崎市は副作用のリスクについてどう考えますか。

□ 「服用のタイミングを決めるのが難しい」
⑤ 篠山市では、事故の際の服用は市から指示するが、指示伝達困難な場合、市民の自主判断もありうる、としている。尼崎市としてはどう考えますか?
 
□ 「放射性ヨウ素にしか効力がない」
⑥ 誰も放射能に対して安定ヨウ素剤が万能だとは言っていない。放射性ヨウ素に対して効果があることは間違いないと思うのですが、どうですか?

□ 「飲んでおけば何とかなるという印象になる」「もっとも優先されるべきは『被曝の低減や汚染の回避』 マスクも防護手段の一つ」と県の委員会では述べられている
⑦ 屋内退避やマスクと安定ヨウ素剤は両立する対策です。「リスクを見るのは最大限、対策は可能なすべて」 これがリスク管理の肝(要諦)です。どうお考えですか?

□ 「兵庫県下で飲むべき可能性が低い」
⑧ 原発事故が起きる可能性は確かに低い。しかし万一起きたとき、放射性物質は風に乗って遠くまで飛び、雨や雪が降った場所に大量に地面に落ちます。福島事故での避難指示地域が30から40キロにとどまったのは、運がよかったに過ぎません。兵庫県が行った原発事故の放射能飛散のシュミレーションでは、尼崎市でも、ヨウ素剤服用水準である甲状腺等価線量50mSvを越えるケースがあるのです。それに対処する計画は必要なのではないでしょうか?どう思いますか?

□ 「飲んで効く人が限定的」
⑨(時間の都合で割愛あり) 放射性ヨウ素への対策として安定ヨウ素剤が効く人が少ないという話は聞いたことがありません。ご見解はいかがですか?

(質問しない)安定ヨウ素剤配布を否定する理由は経済性しかないかと思えるが、
 篠山市では、配布対象42000人 配布率27%で決算額535万円(配布事務費(医師看護師の人件費など)を含む
配布率100%で単純に計算すると総額1980万円程度かと思われます。
  薬そのものは1000錠=5050円(税抜き)3歳-13歳未満1錠 13歳以上2錠。
  尼崎45万人分、全員に2錠としても450万円。安い。配布の事務に人件費はかかりますが、費用面で大きな問題はないと考えられます。

⑩ 効果の面からも、リスクの面からも、費用の面からも安定ヨウ素剤の準備は意味があると考えます。原発事故が起こってから取り寄せる、では間に会わないのです。ヨウ素剤準備を検討してはどうですか?

 繰り返します。災害に対する救助、防災活動の主導権は自治体にあります。それに対して原子力災害についてだけ、国がその主導権をとる仕組みになっているようです。
しかし、福島原発事故における救助、防災の失敗、さらに東海村のJCO臨界事故の際に県も国も動かぬ段階でいち早く住民に避難指示を出したのは当時の東海村の町長であったこと、などを見れば、災害対策に求められるのは国の指導よりは自治体の自主性だということは明らかです。
兵庫県も、国に言われたわけでもないのに、「兵庫県内の放射能飛散のシュミレーションを行ったのは、30キロ件の外にも汚染が広がる場合の対策が必要であることを国に訴えるためだと言っています。
防災対策というものは「最悪を想定して、最善を尽くす」でなくてはなりません。そのことを強く申し上げて質問を終わります。

相模原障碍者虐殺事件の集会2016/12/05

相模原事件の集会

 尼崎の障碍者団体が集まって、あの相模原での障碍者虐殺事件を考える集会がもたれました。

 私は、古い障碍者の友人たちに久しぶりに会えてご機嫌になったのですが、集会の中身はとても重いものでした。

 集会で言われたこと。
 「あの事件や、犯人の主張は決して特別なものではない。私たちの中にも潜在する。」

 私も、あの事件を知ってしばらく、語る言葉がありませんでした。
 
 「自分は絶対に犯人とは違うと言えるか?」しばらく自分に問い詰めていましたが、やめました。「言えないけど、まあ仕方ない」

 情緒障害の息子を持った濱根さんの言葉。
 息子が地域のあちこちを席巻して回る。「好意的に協力してくれる地域の人に対して、「すみません」ではなく「ありがとう」と言うことにした。」

 改めて感動。

 ちょうど、尼崎市は障碍者の外出に支援、介助者をつける「移動支援事業」を再点検しています。
障碍者が、明るく地域を歩き回る。そんな世の中がわたしの願いです。

危険な時限爆弾 TPP 学習会 の案内2016/12/05


 トランプさんが「やめた」と言ったので発効の見込みがなくなったTPP。しかし安心しているわけにはいきません。

 よく言われる、「農業への影響」などはもとより、健康保険や食の安全などにも心配がある協定です。中でも一番心配なことは、政府や自治体が環境保護や健康のためにした規制が外国企業から参入に損害を与えたと訴えられることです。

 かつて、アメリカがマスキー法という法律で、自動車の排出ガスに厳しい規制を課したことがあります。アメリカに沢山輸出していた日本の自動車会社は大きな負担を背負ったのですが、環境のための規制ですから従うしかなかったのです。当時は訴訟などできなかったので、日本の自動車会社は血のにじむような技術的努力でこれをクリアしました。日本国内での同じような規制の動きには「技術的に不可能」などと言って抵抗していたのに、です。
 でも、結果として排ガス浄化の技術は革新されされました。日本車の品質も跳ね上がったのです。
 
 今度のTPPの協定のもとでは、このような規制を訴えで損害賠償を求めることができるのです。

 こんなことが決まると、日本の環境行政や健康、食の安全などが外国企業の訴訟攻撃にさらされることになります。

 安倍さんは、このようなTPPがいたくお気に入りの様で、ごり押しで批准にこぎつけました。

 アメリカが批准しない限り発効はしませんが、私たちがとても危険なものを抱え込んだことに間違いはないように思えます。

 詳しく勉強して考えましょう。

 勉強会を開きます。 ぜひご参加ください。

  テーマ TPPによる私たちの暮らしへの影響
  
  日時  12月8日(木) 19時半から20時50分
  
  会場  すこやかプラザ(JR立花フェスタ立花5階)

  参加費 無料(カンパをお願いします)

トランプショック2016/11/14

 トランプさんという、排外主義・差別主義を隠そうとしない煽動家がアメリカの大統領になります。
「びっくりした」というのが本音です。今の世の中では「どんなことでも起きる」ということでしょうか。
 旧来の支配層の代表クリントンさんと極右のトランプさん・・・。どちらもそんなにうれしいわけではないが、「そうはいってもアメリカはこれまで通りの道の踏襲を選ぶだろう」と私は思っていました。

 人権や民主主義、平等、などの価値観が、選挙でこれほどあからさまに踏みにじられるとは・・。
トランプさんに、社会を小康状態にでも保たせる力があるとは思えません。アメリカ社会は右傾化すると同時に、ぐずぐずと統合が崩れ始めるのでしょう。

 しかし、よく考えてみると、これはアメリカだけで起きていることではありません。
 私たちは日本でも同じ事態を経験したのではないですか。ここ数年の国会議員選挙。東京、大阪の知事や市長の選挙・・。
 むき出しの排外主義、稚拙な「正義のようなもの」、罵詈雑言。日本でもこのようなものが公然とのさばりだして久しいのです。
 数年前、自民党が再び政権に就いた時、アメリカの「ニューズウィーク」は「Japan turns right」(「日本、右旋回」)と表紙の見出しにうちました。今度、その雑誌はどんな表紙を作るのでしょうか。日本で数年前から起きていることがアメリカでも公然化したということに過ぎないのかもしれません。
 だとすれば、アメリカの若者たちが「彼は私たちの大統領ではない」とデモをしていることも肯けます。これまでのアメリカ大統領選挙は、まがりなりにも「終わったらノーサイド」でした。しかし今回はそういう民主主義は壊された、ということが前提になっているのでしょう。
 日本でも安倍政権の集団的自衛権に反対した若者たちのスローガンが「国民なめるな」「民主主義ってなんだ?」
 それでは私たちは、日本では今も進行し、アメリカで公然化した排外主義と差別主義の流れに、どう抗して行くのか。正念場がやってきます。

自治のまちづくり条例賛成討論(維新に反論)2016/10/13

自治のまちづくり条例に対する賛成討論(原稿)です。
 1)、3)、4)、5)、が「維新の会」の意見に対する反論です。
 

自治のまちづくり条例案に対する賛成討論
2016年10月5日
                      
緑のかけはし   酒井 一

1) 「市民」の定義が問題とされました。
○ そもそも、憲法にも地方自治法にも法的な定義はありません。
  あるときは、納税者 住民 通勤 通学 有権者 事業者 ・・・。条例ごとにその趣旨や目的に応じて定義され、又は解釈されます。

○ 議会基本条例案における「市民」の定義との齟齬を懸念するとの主張もありました。これも条例ごとに定義されるもので、何の問題もありません。

「自治のまちづくり条例」においては、地域社会の抱える問題の解決やまちづくりに取り組む主体として「市民等」を定義します。
具体的には
市民=住民 在勤 通学 (図書館の利用者規定とおなじ)
事業者
市民活動団体等=地縁型団体と公益目的の団体が例示されています。

○ この「市民活動団体等」の概念について、そこにさまざまな要求や政治的活動をする団体を想定して、「それらを排除すべき」との主張をする向きがありました。
しかしこれは、まったく不当な考え方です。
そもそも、民主主義社会では、政治的要求や主張といえども全体の利益、公益を目的としているはずです。
たとえ、政治的要求や主張の中に、見る人によっては偏ったと思われるものがあったとしても、直ちに排除されるべきではなく、参画を保障した上で、議論の後、その主張の公益性、逆に偏りの度合いに応じて肯定されたり、否定されたり縮小されたりするべきものです。
それが民主主義の原理です。「貴方の主張に同意はできないが、貴方がそれを主張する権利は守る」ということです。
何もこの条例ではじめて言い出されたことではありません。

2) 市民参加、市民の協力、市民の自覚 
○ 「市民」に市政への協力を強いることに懸念を示す意見もありました。
 市民等に市政への参加、共同作業を求めることはこの条例の本来の趣旨の一つです。
他者への理解に基づく責任ある発言や行動を求めているのであって、民主主義社会の成員として当然求められる姿勢です。

 ○ どちらかと言うと、市長等や職員の市民参加に向けた努力が重視されていて、情報共有や提供が求められており、市民と市長、双方のバランスの取れたものになっていると私は考えます。

3) 左翼勢力
 ○ 「左翼勢力」が推進している「新種の革命」という非難もありました。
「左翼勢力」という煽情的な言葉遣いが発言者の時代遅れな思想を表しています。この条例を古臭い左右対立図式の中に位置づけることは適当ではありません。
ましてやその具体的な対象が「自治労」=「自治総研」であるにおいては「何をかいわんや」です。自治体職員の労働組合が、(否定的意味合いをこめて)「左翼勢力」などと呼ばれた例を私は他に知りません。
そもそも、政策というものは、誰が言ったかが問題なのではなく、言われている中身のよしあしで判断すべきなのではないのでしょうか。

○ 左翼勢力の推進の証拠として「全国どこの自治体の自治条例もパターン化している」とも言われました。 
しかしこれは、市民自治、市民参加の推進が真っ当な時代の流れであることの証しであるに過ぎません。
自民党のパンフレット「ちょっと待て、自治基本条例」が敵視している「松下圭一理論」すなわち「補完性原理」や、「段階的委任論」など、政治権力を個人の主権から出発して説明する考え方も現に存在し、一定の支持を得ていることは確かです。私も傾聴に値する理論だと思います。
しかし、今回尼崎で提案されている条例は、特段その考え方を強調したものではありません。もっと穏健なものです。私からすればやや残念なことに、補完性原理などの考え方はこの条例には少なくとも明示的には盛りこまれていません。

5) 利益団体
○ 悪意の市政参加、利益誘導に牛耳られる虞(おそれ)を言う人もありました。
それはどうでしょうか。
そもそも、事業者は言うに及ばず、すべての市民や団体は自己の利害を有します。それは政治の前提です。政治はとどのつまり「対立する利害の調整である」とまで言われるのです。利害関係を有することを理由に政治から排除するなら、すべてを排除しなくてはならないことになりはしないでしょうか。
個別利害から最大多数の利害までが混在する様々な要求や提言を整理し、政策にまとめ上げるのが長と議会の任務であり、そのように権能も与えられています。
にもかかわらず議員や長の立場にあるものが「牛耳られる」「恣意的な政策のコントロールが行われる」と言うことは「そういう自らの任務が遂行できない、無能である」と表明することに他なりません。

 ○ 現在、全国で350以上制定されている自治基本条例のもとで、言われるような悪意の市政への介入や利益誘導が起こった例は有るのでしょうか。悪意の政治への介入や不当な利益誘導は、むしろ自治とは正反対の、権力乱用や、賄賂によって多く起きてきたのではないでしょうか。

○悪意の参加を排除するために「性悪説に立つべきだ」との意見もありました。確かに規制的な法令には性悪説的な見地を必要とするものもあるでしょう。しかし私たちは麻薬取締法を作っているのではないのです。
市民自治の推進、市民の市政参加、みんなの協力でまちづくりを進めようというこの条例ほど「性善説」に立つことをもとめられるものはないと思います。

6) 住民投票条項
○ これは、この条例構想の中でもっとも賛否の議論のあった問題でした。
住民投票制度を作る場合、その請求要件、投票に付する課題の範囲(限定が必要かどうか)、選択肢の作り方、投票までの議論のあり方(熟議が必要です)、投票の成立要件(定足数)、投票結果の拘束性、など多くの問題に答えを出さねばなりません。

私たちは、基本的に住民投票制度を作ることに賛成でした。自治のまちづくり条例に示される住民自治の推進の根幹を成すものだとまで考えていました。今挙げたような課題は住民投票制度を作ることを決めた上で、解決すればよいことだと考えていました。
ですから、このような課題について未解決であることを理由に提案が見送られたことは残念なことでした。
もっと残念だったことは、住民投票条項についてはもとより、自治のまちづくり条例全体に対して、つまりそこに貫かれている「市民参加のまちづくり」という構想に対して、的外れの批判や異論が投げかけられたことです。
結果として提案は見送られたので、今ここでいちいち反論はしませんが、今後は、住民投票制度の是非、実施するとした場合の、その内容、方法などについて、市民自治、市民参加の推進の観点から、真摯な内容のある議論をすることを市長、議会、市民の皆さんに呼びかけさせていただいて、私の賛成討論とします。

「自治基本条例」と「公契約条例」2016/10/07

自治のまちづくり条例 可決成立しました

 稲村市長の公約である自治基本条例(「自治のまちづくり条例」)が九月議会に上程され、賛成多数で可決成立しました。反対は「維新の会」です。(明日のブログで「維新」のとてもユニークな反対論と私の反論を紹介します)

 当初の構想では、この条例案に、「常設型住民投票制度」が含まれていました。有権者の一定数が請求すれば市政の重要案件について住民投票を行う、という制度です。
 
  市議会では今年の初めから、この条例を巡って実質的に議論が始まりました。当初の主な議論はこの住民投票規定をめぐっての賛否でした。 
 反対意見の主なものは、「市政についての決定をする責任は市長と議会の二つの住民代表機関が負っている。住民投票はその権限を侵すものだ」というものです。
  民主主義には、直接、間接どちらにも長所と短所があります。間接民主制のもとでも、できるだけ直接民主主義の要素を取り入れて双方の長所を活かし短所をできるだけ取り除くように工夫して運営することが正しいやり方だと思います。ですから私は住民投票制度に賛成でした。

  ところが九月議会で提案された条例案からは、この住民投票の条項は除かれました。
 確かに住民投票制度に対する疑問や反対は多く、さらに、住民投票の具体的なやり方が決められていないので、議論ができないとの意見もあったのです。

 残念ですが、住民投票制度は次の機会を待つことにします。それでも自治基本条例を成立させる意義はあると思います。

  九月議会では住民投票制度以外のところで賛否の意見が戦わされました。

 反対意見の主なものは、
 市政への参加を求める対象として市民、事業者、「市民活動団体」が挙げられているが、「市民活動団体」として、悪意の団体が、市政に参画してきて、市政を牛耳るかも知れないではないか。
 というものでした。

 これはどうでしょう? そもそも「悪意」などという恣意的な判断で市政への参画を遮ること自体が民主的ではありません。どんな意見でも、一旦は聞くのが民主主義です。
 また、様々な意見や要求を調整して政策にするのが、市長や議員の仕事です。そのための権限も与えられています。とんでもない要求や意見を退けるのが市長や議員の仕事です。


住民投票制度につて

 今の憲法と地方自治法では、住民の直接選挙で選ばれた首長と議会が、お互いの権限を分担、発揮して地方自治体の政治を行うように定められています。二元代表制です。
 代表を通じて働く民主主義なので間接民主制とも言います。民主主義としては最も一般的な制度です。
 ところが、この制度のもとでは、全ての政治課題に住民の意思が直接反映するわけではありません。選挙は四年に一度です。ですからその点を補うものとして、政治への住民参加の方法が様々に工夫されてきました。
  地方自治法には「直接請求」という制度が用意されていて、有権者の1/50の請求で、条例を作ったり廃止したり改正したりすることを議会に請求することができます。その他にも監査委員への監査請求や、議会への陳情、請願も住民の政治参加を保障する制度です。市長や議員の解職制度(リコール)もあります。
 その他にも、たとえば各種の審議会や、パブリックコメントなどが作られて市民の知恵や意見の反映がはかられています。
 住民投票制度はこのような住民の政治参加を保障する手段の一つとして用意されるものです。
 


公契約条例ー公共調達基本条例
 
 アウトソーシングといって、今や市役所の仕事がどんどん民間の労働者にまかされるようになっています。役所は「民間の知恵や活力を活用する」と言います。隠されたもう一つの理由は民間の方が賃金が安いからなのですが、決してそれは言いません。
 ゴミ収集は今や2/3が民間の業者です。
図書館や地区会館も「指定管理」という形で民間にまかされています。今や最も役所らしい住民票や戸籍の窓口まで民間に委託されました。
 しかし、市役所と民間の事業者との契約は「価格競争入札」で基本的にはより安く引き受ける業者に落札します。すると労働者の労働条件が圧迫されかねません。
 どんどん進む「民間化」のもとで働く労働者の賃金など労働条件や、労働環境が悪くなると、一つには市役所が低賃金や悪条件の労働を作り出していることになります。それはひいては、その労働者が市民に提供するサービスの質の悪化にもつながることが心配されます。

 そこで民間の労働者に市の仕事をしてもらう(その事の良し悪しはここではおくとして)のならば、その労働者の賃金や労働条件向上に配慮した契約を結ぶべきだ、という考え方で発案されたのが、「公契約条例」でした。
 その核心は「市の仕事で働く労働者の賃金や労働条件の最低を定めること」と「市は発注の予算の中にその賃金や労働条件の費用を盛り込むこと」の二点です。

 私たちは2008年、この公契約条例を議員提案で議会にかけました。基本となる考え方、条例に盛り込むべき項目、条例文までを議員自らの手で作り上げたのです。当時の市長部局はこの条例に反対でした。

 結果は、当初見込まれた賛成議員が市長部局の切り崩しにあって過半数に届かず、僅差で否決されました。しかし、全国初の公契約条例の提案となり、約半年にわたって続けられた議論は、賛否どちら側の論点も出しつくした歴史的なものでした。
 その後多くの自治体で公契約条例が作られる出発点になったのです。

 それから7年たった今年、今度は当時の市長に替わった稲村市長から「公共調達基本条例」が提案され、9月議会で全会一致で可決成立しました。。
 名前が違うのには訳があって、肝心の最低賃金を定める条項は見送られています。その点は提案した私たちにとっては不満です。
 しかし、条例にある「労働関係法令順守報告」(市の発注した仕事で働く労働者の労働条件が法法定水準以上かどうかを報告してもらう制度)を活用して市の仕事で働く民間労働者の労働条件の向上に市が関心をはらう入り口(一歩前進)にしていきたいと考えています。

安全保障法制迷言集2015/07/01

 安全保障法制迷言集


  今の安保法制の議論に、戦争への危険を感じるのはもちろんですが、一方、安倍さんをはじめとして、とても薄っぺらな、馬鹿馬鹿しいほど軽い言葉で、軍事が語られていることに大きな不安と怒りを覚えます。迷言集をどうぞ。

○「戦争に巻き込まれることはない。日米安保の論議と結果が証明している」
  
  影の声:「巻き込まれる」のではありませんよね、「参戦」するのですよね。憲法学者でなくても、泥棒を車で運んだら泥棒のなかまだというくらいはわかります。
  
○「自衛隊員のリスクは増えない」
 
  影の声:「大丈夫、安全だから戦争に行ってくれ」ってか? 安全な軍事行動?
 
○「後方支援中でも戦闘が起きれば中止、撤収する」

  影の声:「おーい弾持って来てくれ」 「私も撃たれているから帰る。ごめんね」・・これでは前方から弾が飛んできます。
 
兵站が軍事攻撃の目標とされるのは常識。との質問に答えて、
○「大切な物資を届けるからこそ、安全な場所で相手に渡すのがいまや常識だ」

  影の声 「宅急便」じゃないのですから・・・。 補給線を攻撃するのは戦争の「いろは」であり、最も効率的な方法です。かつての日本軍は米軍に補給路を徹底的に攻撃されて、真剣に対策をしないで放置して敗れました。日本の兵士(つまり私たちの祖父や父や兄)の死者の過半が補給の途絶による餓え死にか、輸送船を沈められての海没死なのです。戦争指導部の無能、怠慢と言わざるをえません。
  これこそ私たちが振り返って学ぶべき痛恨の歴史です。
  今日また、「安全な補給」というものがあるかのように言いたてる安倍政権の歴史認識のなさ、勉強不足にはあきれるしかありません。

○「(政府に批判的な)新聞社を『懲らしめる』には広告をやめるのが一番」

  影の声:「懲らしめる」なんて。桃太郎じゃないのですから、思い上がりもいい加減にしてほしいものです。権力の側にある者が一番使ってはいけないせりふです。
       かつての韓国で独裁政権に反対の論陣を張った「東亜日報」が財界の広告停止に対して、真っ白の広告欄で抗議して闘った。あれを日本で繰り返したいわけですか?

○「沖縄の新聞は売国的だ」(自民党の勉強会で講師が発言)

  影の声:1951年4月28日、本土の独立と交換に沖縄を売りわたしたのはどの政権でしたっけ?
 
○「石油がこなくなることは国の存立の危機」!

  影の声:これこそかつての日本が米英との戦争に突入したときの口実でしたね。

○「『ホルムズ海峡の機雷』や、『日本に飛んでくるミサイル』に対処しなくてはいけない」

  影の声:じつは、これらは実は個別自衛権の拡大で説明できるのです。ミサイルの発射基地や、自国への攻撃の拠点になっている飛行場や港への攻撃などは個別的自衛権の範囲です。自国の船舶を守るための行動は個別的自衛権の行使です。これまでは、よしあしは別にして、自主的に外国領土での軍事行動を抑制することにしてきただけです。
その「個別的自衛権の拡大」は言わずに、あれほどまでに集団的自衛権にこだわるのは、アメリカ軍の応援(二軍になる)をしたいからとしか思えません。
日本を守るために「危険を顧みない」と宣誓している自衛隊員に向かって「アメリカの弾運びをしろ」「アメリカの盾になれ」と言える政治家や指揮官はどうかしています。