ロシアのウクライナ侵攻に思う2022/03/07

ロシアのウクライナ侵攻に思う
2022年3月7日
酒井 一

 今回のウクライナ侵攻。考えれば考えるほど、第2次世界大戦の始まりと酷似しています。ナチスドイツとロシアが入れ替わっているのが皮肉ですが・・・。

〇ナチスドイツのヒトラーは、1938年、チェコ・スロバキアに対して「ドイツ系住民がたくさんいる」という理由でズデーテン地方の割譲を要求した。
 プーチンは2014年のクリミア強奪も、今回の侵攻も「ロシア系住民が多く住んでいる」という理由で正当化している。

〇ヒトラーは1939年ポーランドに一方的に侵攻し征服した。
 プーチンも今まさに一方的にウクライナに攻め込んで、非軍事化と中立化を強要している。

〇当時、チェンバレンのイギリスはズデーテン割譲を「今度だけよ」と許した。正確にはチェコスロバキアとナチスドイツの間を仲裁した。チェンバレンはドイツを非難しながら軍事的対決は避けた。
 今回もアメリカや英仏独(NATO)は、「ウクライナに軍は送らない」と明言して直接対決を避けた。

 とてもむつかしい問題です。ズデーテン地方併合について、「ナチスの横暴を許し、戦争を避けたことでのちのポーランド侵攻を許した」との批判がありました。しかし、ポーランド侵攻に対しては戦争をもって応じたので第二次世界大戦がはじまったのです。
 再びしかし、・・・、ではポーランド侵攻も黙って容認すればよかったのか? そうとも言いきれないでしょう。
 
 じゃあいったいどうすればよかったのでしょうか?
 歴史の教訓は、一見絶望的であるかのようです。
 大きな武力(核兵器も)を持った暴力的な国家が現れた時、屈服するか、武力で対抗して世界戦争(現代では核戦争)に突入するかしか選択肢はないのでしょうか?

 80年前と現在の最も大きな違いは、世界中の人々の侵略反対の意思表示です。侵略国であるロシアでも公然と侵攻反対の声が上がっているのです。当時のドイツでは、(日本でも)反戦の声は、ナショナリズムの高揚と厳しい弾圧のせいもあってほぼ完全に封じられていました。現在のロシアでもナショナリズムと弾圧はありますが、それにも屈しない意思表示が続いています。そしてそれが当時と比べて飛躍的に発達した様々なメディアを通じて世界中に広がっています。世界中の人びとがお互いの反戦の意思を共有できるのです。これで生まれる「世界世論」のうねりは、侵略者にとっても決して侮れるものではないと思います。
 
 もう一つは「侵略戦争は国際法違反」との認識の広がりと深まりです。
 米ソ対立時代以降、これほどあからさまな侵略戦争はアメリカ以外やってきませんでした。そのアメリカが「侵略戦争反対」の理念を掲げている事、それが世界の大多数の国際世論と一致している事にも注目しておかねばなりません。
 アメリカには「言ったよね、『一方的な侵攻はあかん。武力による現状変更はあかん。核の恫喝はあかん。』それが自分に跳ね返ることはわかっているよね。」というべきです。

 これら二つを合わせて盛り上がる「世界世論」とでもいうべきもの、それしか私たちがよるべきものはないのでしょう。 

 さて、肝心の日本です。日本の安全保障について、維新の党などが「ウクライナの悲劇を見ても憲法9条を守れなどと言えないだろう」とうそぶいたらしいです。このように主張する人々が増えるのでしょう。
 
 それにはこう答えましょう。
 「もちろんウクライナ軍の健闘には敬意を表する。しかし、はるかに素晴らしく、希望があるのは、戦車や兵士の前に丸腰で立ちはだかって抵抗するウクライナの市民の姿だ。」
 
 「丸腰で侵略に立ち向かえというのか」との非難が聞こえてきそうです。
 
 その声にはこう答えましょう。
 「9条の下でも自衛戦争は許される」というのが今や日本の大勢で、共通了解と言ってもよい。とりあえずその立場に立つとしよう。しかし自衛軍備で戦争を抑止しようとしても、抑止を求める限り際限のない軍備拡張競争に入り込んでしまいはしないか。
 例えば中国を相手に軍拡競争をするとする。たとえ専守防衛に限るとしても、今の中国の軍備拡張に対抗することは経済的に不可能だろう。中国の経済規模はそこまで来ている。だからこそ彼らは今のように居丈高になれるのだ。」

 日米安保、アメリカに頼ることもよく言われますが、アメリカを全面的に信用するわけにはいかないでしょう。「アメリカとの核の共有」などと言うたわごとを口走っている人たちはアメリカの対日政策を全く知らないと言うしかないでしょう。ウクライナのように、世界大戦-核戦争を回避するために見殺しにされないという保証はどこにもありません。

 ことほど左様に、他のすべての選択肢は絶望的なのです。
 
 利き目は遅いかもしれません。効き目が出る前にひどい目に合うかもしれません。
しかし、他の選択肢が地獄への道である以上、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼し」平和国家としての矜持と、武力に屈しない信念を持つに値する幸福な社会づくりに努め、それを尊敬し支援する世界の世論に依拠するしか私たちの希望はないと思い定めるべきなのです。