106人か107人かー福知山線脱線事故の芝居2009/04/18

JR福知山線脱線事故から4年。「脱線」という芝居を観てきました。「あの事故を運転手の立場から描いた」という主題設定にひかれたのです。

事故の後JR西が、追悼の対象を「106人」と表明したことを知ったとき、私は、体が震えるような怒りを覚えました。死者は運転手を含めて107人なのです。

 帝国軍隊をほうふつとさせる「日勤教育」という名の従業員いじめ、が運転手の暴走の原因の少なくとも一つであることを否定する人は「JR西」関係者以外にはいないでしょう。

 ならば、JR西が運転手を犠牲者から外すという行為は、会社としての責任の一切を、若干23歳の若い運転手にかぶせて、知らぬ顔を決め込もうという魂胆丸出しではありませんか。

 簡単に色分けすると、JR西は加害者、乗客は被害者、そして運転手は「被害者かつ加害者」なのです。JR西が乗客の霊前にぬかづいて告げるべきは、会社、組織としての責任と運転手個人の責任の分担についての、自己弁護を排した告白であるべきでした。

 運転手は追悼の対象としない、つまり被害者の側面はないと主張し続けるならば、JR西は鉄道会社としての責任を回避することになり、事故原因が改善されることもなければ、信頼を回復することもできないでしょう。

 死んだ運転手の若者賛美にかしいでいることと、JR西のやっていたであろう日勤教育という「労働者支配」の表現のステレオタイプなこと、などはやや懸念されますが、細部はともかく4年目の4月25日を迎える前に、良い芝居を観ることができました。

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