「自治基本条例」と「公契約条例」2016/10/07

自治のまちづくり条例 可決成立しました

 稲村市長の公約である自治基本条例(「自治のまちづくり条例」)が九月議会に上程され、賛成多数で可決成立しました。反対は「維新の会」です。(明日のブログで「維新」のとてもユニークな反対論と私の反論を紹介します)

 当初の構想では、この条例案に、「常設型住民投票制度」が含まれていました。有権者の一定数が請求すれば市政の重要案件について住民投票を行う、という制度です。
 
  市議会では今年の初めから、この条例を巡って実質的に議論が始まりました。当初の主な議論はこの住民投票規定をめぐっての賛否でした。 
 反対意見の主なものは、「市政についての決定をする責任は市長と議会の二つの住民代表機関が負っている。住民投票はその権限を侵すものだ」というものです。
  民主主義には、直接、間接どちらにも長所と短所があります。間接民主制のもとでも、できるだけ直接民主主義の要素を取り入れて双方の長所を活かし短所をできるだけ取り除くように工夫して運営することが正しいやり方だと思います。ですから私は住民投票制度に賛成でした。

  ところが九月議会で提案された条例案からは、この住民投票の条項は除かれました。
 確かに住民投票制度に対する疑問や反対は多く、さらに、住民投票の具体的なやり方が決められていないので、議論ができないとの意見もあったのです。

 残念ですが、住民投票制度は次の機会を待つことにします。それでも自治基本条例を成立させる意義はあると思います。

  九月議会では住民投票制度以外のところで賛否の意見が戦わされました。

 反対意見の主なものは、
 市政への参加を求める対象として市民、事業者、「市民活動団体」が挙げられているが、「市民活動団体」として、悪意の団体が、市政に参画してきて、市政を牛耳るかも知れないではないか。
 というものでした。

 これはどうでしょう? そもそも「悪意」などという恣意的な判断で市政への参画を遮ること自体が民主的ではありません。どんな意見でも、一旦は聞くのが民主主義です。
 また、様々な意見や要求を調整して政策にするのが、市長や議員の仕事です。そのための権限も与えられています。とんでもない要求や意見を退けるのが市長や議員の仕事です。


住民投票制度につて

 今の憲法と地方自治法では、住民の直接選挙で選ばれた首長と議会が、お互いの権限を分担、発揮して地方自治体の政治を行うように定められています。二元代表制です。
 代表を通じて働く民主主義なので間接民主制とも言います。民主主義としては最も一般的な制度です。
 ところが、この制度のもとでは、全ての政治課題に住民の意思が直接反映するわけではありません。選挙は四年に一度です。ですからその点を補うものとして、政治への住民参加の方法が様々に工夫されてきました。
  地方自治法には「直接請求」という制度が用意されていて、有権者の1/50の請求で、条例を作ったり廃止したり改正したりすることを議会に請求することができます。その他にも監査委員への監査請求や、議会への陳情、請願も住民の政治参加を保障する制度です。市長や議員の解職制度(リコール)もあります。
 その他にも、たとえば各種の審議会や、パブリックコメントなどが作られて市民の知恵や意見の反映がはかられています。
 住民投票制度はこのような住民の政治参加を保障する手段の一つとして用意されるものです。
 


公契約条例ー公共調達基本条例
 
 アウトソーシングといって、今や市役所の仕事がどんどん民間の労働者にまかされるようになっています。役所は「民間の知恵や活力を活用する」と言います。隠されたもう一つの理由は民間の方が賃金が安いからなのですが、決してそれは言いません。
 ゴミ収集は今や2/3が民間の業者です。
図書館や地区会館も「指定管理」という形で民間にまかされています。今や最も役所らしい住民票や戸籍の窓口まで民間に委託されました。
 しかし、市役所と民間の事業者との契約は「価格競争入札」で基本的にはより安く引き受ける業者に落札します。すると労働者の労働条件が圧迫されかねません。
 どんどん進む「民間化」のもとで働く労働者の賃金など労働条件や、労働環境が悪くなると、一つには市役所が低賃金や悪条件の労働を作り出していることになります。それはひいては、その労働者が市民に提供するサービスの質の悪化にもつながることが心配されます。

 そこで民間の労働者に市の仕事をしてもらう(その事の良し悪しはここではおくとして)のならば、その労働者の賃金や労働条件向上に配慮した契約を結ぶべきだ、という考え方で発案されたのが、「公契約条例」でした。
 その核心は「市の仕事で働く労働者の賃金や労働条件の最低を定めること」と「市は発注の予算の中にその賃金や労働条件の費用を盛り込むこと」の二点です。

 私たちは2008年、この公契約条例を議員提案で議会にかけました。基本となる考え方、条例に盛り込むべき項目、条例文までを議員自らの手で作り上げたのです。当時の市長部局はこの条例に反対でした。

 結果は、当初見込まれた賛成議員が市長部局の切り崩しにあって過半数に届かず、僅差で否決されました。しかし、全国初の公契約条例の提案となり、約半年にわたって続けられた議論は、賛否どちら側の論点も出しつくした歴史的なものでした。
 その後多くの自治体で公契約条例が作られる出発点になったのです。

 それから7年たった今年、今度は当時の市長に替わった稲村市長から「公共調達基本条例」が提案され、9月議会で全会一致で可決成立しました。。
 名前が違うのには訳があって、肝心の最低賃金を定める条項は見送られています。その点は提案した私たちにとっては不満です。
 しかし、条例にある「労働関係法令順守報告」(市の発注した仕事で働く労働者の労働条件が法法定水準以上かどうかを報告してもらう制度)を活用して市の仕事で働く民間労働者の労働条件の向上に市が関心をはらう入り口(一歩前進)にしていきたいと考えています。

自治のまちづくり条例賛成討論(維新に反論)2016/10/13

自治のまちづくり条例に対する賛成討論(原稿)です。
 1)、3)、4)、5)、が「維新の会」の意見に対する反論です。
 

自治のまちづくり条例案に対する賛成討論
2016年10月5日
                      
緑のかけはし   酒井 一

1) 「市民」の定義が問題とされました。
○ そもそも、憲法にも地方自治法にも法的な定義はありません。
  あるときは、納税者 住民 通勤 通学 有権者 事業者 ・・・。条例ごとにその趣旨や目的に応じて定義され、又は解釈されます。

○ 議会基本条例案における「市民」の定義との齟齬を懸念するとの主張もありました。これも条例ごとに定義されるもので、何の問題もありません。

「自治のまちづくり条例」においては、地域社会の抱える問題の解決やまちづくりに取り組む主体として「市民等」を定義します。
具体的には
市民=住民 在勤 通学 (図書館の利用者規定とおなじ)
事業者
市民活動団体等=地縁型団体と公益目的の団体が例示されています。

○ この「市民活動団体等」の概念について、そこにさまざまな要求や政治的活動をする団体を想定して、「それらを排除すべき」との主張をする向きがありました。
しかしこれは、まったく不当な考え方です。
そもそも、民主主義社会では、政治的要求や主張といえども全体の利益、公益を目的としているはずです。
たとえ、政治的要求や主張の中に、見る人によっては偏ったと思われるものがあったとしても、直ちに排除されるべきではなく、参画を保障した上で、議論の後、その主張の公益性、逆に偏りの度合いに応じて肯定されたり、否定されたり縮小されたりするべきものです。
それが民主主義の原理です。「貴方の主張に同意はできないが、貴方がそれを主張する権利は守る」ということです。
何もこの条例ではじめて言い出されたことではありません。

2) 市民参加、市民の協力、市民の自覚 
○ 「市民」に市政への協力を強いることに懸念を示す意見もありました。
 市民等に市政への参加、共同作業を求めることはこの条例の本来の趣旨の一つです。
他者への理解に基づく責任ある発言や行動を求めているのであって、民主主義社会の成員として当然求められる姿勢です。

 ○ どちらかと言うと、市長等や職員の市民参加に向けた努力が重視されていて、情報共有や提供が求められており、市民と市長、双方のバランスの取れたものになっていると私は考えます。

3) 左翼勢力
 ○ 「左翼勢力」が推進している「新種の革命」という非難もありました。
「左翼勢力」という煽情的な言葉遣いが発言者の時代遅れな思想を表しています。この条例を古臭い左右対立図式の中に位置づけることは適当ではありません。
ましてやその具体的な対象が「自治労」=「自治総研」であるにおいては「何をかいわんや」です。自治体職員の労働組合が、(否定的意味合いをこめて)「左翼勢力」などと呼ばれた例を私は他に知りません。
そもそも、政策というものは、誰が言ったかが問題なのではなく、言われている中身のよしあしで判断すべきなのではないのでしょうか。

○ 左翼勢力の推進の証拠として「全国どこの自治体の自治条例もパターン化している」とも言われました。 
しかしこれは、市民自治、市民参加の推進が真っ当な時代の流れであることの証しであるに過ぎません。
自民党のパンフレット「ちょっと待て、自治基本条例」が敵視している「松下圭一理論」すなわち「補完性原理」や、「段階的委任論」など、政治権力を個人の主権から出発して説明する考え方も現に存在し、一定の支持を得ていることは確かです。私も傾聴に値する理論だと思います。
しかし、今回尼崎で提案されている条例は、特段その考え方を強調したものではありません。もっと穏健なものです。私からすればやや残念なことに、補完性原理などの考え方はこの条例には少なくとも明示的には盛りこまれていません。

5) 利益団体
○ 悪意の市政参加、利益誘導に牛耳られる虞(おそれ)を言う人もありました。
それはどうでしょうか。
そもそも、事業者は言うに及ばず、すべての市民や団体は自己の利害を有します。それは政治の前提です。政治はとどのつまり「対立する利害の調整である」とまで言われるのです。利害関係を有することを理由に政治から排除するなら、すべてを排除しなくてはならないことになりはしないでしょうか。
個別利害から最大多数の利害までが混在する様々な要求や提言を整理し、政策にまとめ上げるのが長と議会の任務であり、そのように権能も与えられています。
にもかかわらず議員や長の立場にあるものが「牛耳られる」「恣意的な政策のコントロールが行われる」と言うことは「そういう自らの任務が遂行できない、無能である」と表明することに他なりません。

 ○ 現在、全国で350以上制定されている自治基本条例のもとで、言われるような悪意の市政への介入や利益誘導が起こった例は有るのでしょうか。悪意の政治への介入や不当な利益誘導は、むしろ自治とは正反対の、権力乱用や、賄賂によって多く起きてきたのではないでしょうか。

○悪意の参加を排除するために「性悪説に立つべきだ」との意見もありました。確かに規制的な法令には性悪説的な見地を必要とするものもあるでしょう。しかし私たちは麻薬取締法を作っているのではないのです。
市民自治の推進、市民の市政参加、みんなの協力でまちづくりを進めようというこの条例ほど「性善説」に立つことをもとめられるものはないと思います。

6) 住民投票条項
○ これは、この条例構想の中でもっとも賛否の議論のあった問題でした。
住民投票制度を作る場合、その請求要件、投票に付する課題の範囲(限定が必要かどうか)、選択肢の作り方、投票までの議論のあり方(熟議が必要です)、投票の成立要件(定足数)、投票結果の拘束性、など多くの問題に答えを出さねばなりません。

私たちは、基本的に住民投票制度を作ることに賛成でした。自治のまちづくり条例に示される住民自治の推進の根幹を成すものだとまで考えていました。今挙げたような課題は住民投票制度を作ることを決めた上で、解決すればよいことだと考えていました。
ですから、このような課題について未解決であることを理由に提案が見送られたことは残念なことでした。
もっと残念だったことは、住民投票条項についてはもとより、自治のまちづくり条例全体に対して、つまりそこに貫かれている「市民参加のまちづくり」という構想に対して、的外れの批判や異論が投げかけられたことです。
結果として提案は見送られたので、今ここでいちいち反論はしませんが、今後は、住民投票制度の是非、実施するとした場合の、その内容、方法などについて、市民自治、市民参加の推進の観点から、真摯な内容のある議論をすることを市長、議会、市民の皆さんに呼びかけさせていただいて、私の賛成討論とします。