脱線事故現場 ― 2009/04/23
4月25日を前にして、「脱線」というあの事故を運転手側から描いた芝居を見てしまって、すっかり脱線事故づいてしまいました。
あいさつ回りの往き帰りに、現場によってしまいます。
その成果です。例のカーブを写真に撮ってきました。「例の」というのは、まさにこのカーブで電車が脱線したというだけでなく、このカーブの曲率そのものが事故の原因だと言われているのです。
上り列車は、写真手前から右にカーブを切って尼崎駅に向かいます。60キロの制限速度表示があります。当時は制限70キロでした。脱線した電車は100キロ以上の速度が出ていたそうです。
運転手が「日勤教育」などの「しごき」への恐怖から回復運転の速度を出しすぎたことがもちろん第一原因です。
しかし、鉄道会社としては、運転手がミスをしても事故が起きないように、二重三重の安全性を確保することが必要です。
上り線はかつては、衝突したマンションの左側を通っていました。輸送力増強のために下り線と同じルートに付け替えたのですが、カーブは急になりました。下り線はこのカーブの手前に、尼崎駅から発車してすぐに大きなカーブした陸橋があり、速度は出にくいのですが、上り線は伊丹駅からの長い直線で速度が上がりやすいのです。
カーブの曲率も当初の設計では半径600mだったそうで、なぜかそれが半径300mになってしまった。このような条件の急カーブには、少なくともATSの設置が必須でした。
あいさつ回りの往き帰りに、現場によってしまいます。
その成果です。例のカーブを写真に撮ってきました。「例の」というのは、まさにこのカーブで電車が脱線したというだけでなく、このカーブの曲率そのものが事故の原因だと言われているのです。
上り列車は、写真手前から右にカーブを切って尼崎駅に向かいます。60キロの制限速度表示があります。当時は制限70キロでした。脱線した電車は100キロ以上の速度が出ていたそうです。
運転手が「日勤教育」などの「しごき」への恐怖から回復運転の速度を出しすぎたことがもちろん第一原因です。
しかし、鉄道会社としては、運転手がミスをしても事故が起きないように、二重三重の安全性を確保することが必要です。
上り線はかつては、衝突したマンションの左側を通っていました。輸送力増強のために下り線と同じルートに付け替えたのですが、カーブは急になりました。下り線はこのカーブの手前に、尼崎駅から発車してすぐに大きなカーブした陸橋があり、速度は出にくいのですが、上り線は伊丹駅からの長い直線で速度が上がりやすいのです。
カーブの曲率も当初の設計では半径600mだったそうで、なぜかそれが半径300mになってしまった。このような条件の急カーブには、少なくともATSの設置が必須でした。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://shimin.asablo.jp/blog/2009/04/23/4261362/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。